失語症記念館
南イタリアの旅

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29.快楽の町・・・それはポンペイ

2002年 9月:

 南イタリアの中心ナポリの南東23キロ、ヴェスービオ火山の裾野に位置するポンペイ。ソレントとナポリを1時間で結ぶ電車はチルクム・ヴェスヴィアーナ線。その途中に魅惑的な町ポンペイがある。ソレントからは約26分、2300L。
 さぁ、今日はポンペイへ行こう。

 その前にポンペイについて少しお勉強。
 紀元前6世紀前半にエトルリア人の都市として出発したポンペイは紀元前2世紀に大きな発展を遂げた。ローマが宿敵カルタゴを破り、東地中海域に勢力を拡張したために交易圏が拡大されその恩恵に預かるところとなったのだ。広場の拡張整備、神殿の建設、約4000人も収容できる劇場の建設、そしてこの頃より個人住宅も中庭を持つヘレニズム宮殿のような豪華な建物が多くなった。バブルの頃の日本を彷彿させる。
 途中でローマの自治市となり、その後植民市として急速なローマ化を果たす。
そしてこの町の繁栄は紀元79年のヴェスービオ火山の噴火でその全ての時を止めたのであった。このとき風向きが反対だったらナポリが遺跡になっていたかもしれない。運命とは本当に不可解だ。
 ポンペイは約63ヘクタール、総延長3キロの城壁によって守られていた。最盛期には1万5000人もの人口があったという。ローマの植民市となる以前から栄えていた旧家を筆頭にローマからの植民者を先祖とする家族、どこの出身かよく分からない庶民、奴隷に解放奴隷、近隣都市からの商人や農民達が行き交うにぎやかな地方都市であったという。

 発掘された個人住宅などにはそれぞれ、『演劇画の家』『大噴水の家』『メナンドロスの家』『悲劇詩人の家』等という名前が付いている。これらは、決してこの家の主の名前ではなく、出土した壁画や噴水にちなんでつけられた考古学者による便宜的な愛称である。

 発掘された壁画や、芸術品などの出土品の殆どはナポリ国立考古美術館に納められており、現在ポンペイにあるのはだいたいがレプリカである。でも出土したときの色や形をそのままにレプリカにしているので、ガイドブックをにぎわしているような代表的なものを探し歩くのも面白い。
 ワイン2杯分で買えたという娼婦の地位は決して低くはなかったらしいがワインが高かったのだろうか。この町の性と食は何ともおおらかだ。
街角の水飲み場に、建物の壁に、玄関先に置かれた家具の足にも・・・ペニス、ペニス、ペニスのオンパレード!生殖力の象徴として男根像を祭る男根崇拝は日本ばかりでなくいろいろな国で見られはするものの、ポンペイほど明るく、恥ずかしげも無く大らかにばらまかれているところはないような気がする。魔よけにもなっているので玄関先にもデーンと鎮座していたりする。豊饒多産の神プリアポスは当時のイタリアでの農業の守護神でもあったため、勃起した男根をイチジクの木に彫り赤く塗って畑の案山子にしたとも言う。想像しただけで何となく笑っちゃう。なんだかちょっとおまぬけだ。

 また春画と言うべきか・・・性行シーンやそのスタイルが売春宿の壁ばかりではなく、一般家庭の寝室や台所の壁にもフレスコ画などで描かれている。構図はダイナミック!でも少しもエロっぽく感じないのは、私だけではないはずだ。どちらかというとエアロビクスの解説書のように淡々と描かれている感じ。
 ただし、現在はこれらの絵の殆どは美術館にしまわれあまり人の目の前にお出ましにならない。敬けんなキリスト教徒が多いお国柄のせいだろうか。歴史と共に性のモラルも大きく変化したのだろう。

 ポンペイ人はだいたいにして1日2食だったらしく、1食めはお昼頃パンとオリーブ、それに干しイチジク程度を取るという質素なものだったらしい。晩餐(ケーナ)に重点を置き、金持ちの輩は世界中から珍味を取り寄せたり花びらに埋もれながらえんえん飲食したりと贅を尽くし、破産に陥るものまで続出したという。大金持ちが催すそのメニューはと言えばカタツムリやツグミの詰め物をした仔豚、雌豚の乳房(さくさくとした感触がよいらしい)、伊勢エビの網焼きコリアンダーソース・・・今だってすごいご馳走ばかりである。
 ポンペイで売られたり流通していた食材は、壁画やモザイクにそれは豊富に描き出されている。またあっという間に火山灰の中に埋もれてしまったので、その時に並べられていた食材やパンなどが化石になって出土している。

 人間の3大欲望の中の二つ、食欲と性欲・・・いつの時代でも変わらない。先日最新のCG技術により再現されたその頃の邸宅内を見たが、その色彩の艶やかさに、贅を尽くしたしつらえに、それらはみじんも古さを感じさせることなくただため息をつかされる羽目になった。
 ポンペイは『快楽』・・・それを純粋に求め続けた町である。

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