失語症記念館
南イタリアの旅

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39.鉄道に乗って

2003年 1月:

 ヨーロッパの電車は日本に比べてゆったりして乗り心地もすこぶる良い。でもイタリアの片田舎で取った予約のためにいやな思いをしたまゆみはいたく傷つき、しみじみとJRの親切と正確さに感じ入ったのである。でもスイスの鉄道は日本と並んで素晴らしいと言うことをここに付け加えておきたい。
 私達は9時半のナポリ発に乗りボローニャで乗り換えヴェネツィアを目指すことに。個人旅行で一番困ることは荷物がいつもくっついていると言うこと。以前ベローナで乗り換えをしたときには駅にエレベーターがなかった。階段を上ったり降りたりと大変な苦労だった。上腕にしっかりと筋肉がつくこと請け合いだ。さて今回のボローニャはどうだろう。
 ボローニャはヨーロッパで1番古い大学があると言うことで有名だ。そしてやっぱりエレベーターもエスカレーターも存在しなかったので、大きなスーツケースを持って階段を昇ったり降りたりしなければならなかった。乗り換え時間が40分しかなかったのでホームからホームへ移動し、自販機でようやくまずいガス入り水を買うのがやっとだった。ふう、疲れた。3時間程度の電車だったがこの電車は今ひとつの乗り心地だった。
 しかし北に行くに従って暑くなって来るというのはどういうことだろう。10日くらい前にシチリアに着いたときは寒くて震えていたのに。
 夕方5時くらいに懐かしのサンタ・ルチア駅についた。ごろごろスーツケースを乗せたカートを引っ張りながらヴォバレット乗り場へ。ヴォバレットとは水上バスのようなものだ。大きな荷物は乗車券の他に10000Lかかる。ヴェネツィアは水の都だ。水路が張り巡らされて町の中はヴォバレットか、水上タクシーもしくはゴンドラ。車の乗り入れは許されていない。水路を使わない場合はもうただ歩くだけである。
 ジージョで下車。狭い道をカートを引っ張りごろごろホテルケッテを目指して歩く、歩く。でもヴェネツィアって本当に面白い。幅が1メートルもないような道がたっくさんあるのだ。京都の石塀小路を思わせるような・・・。
 ああ、やっとホテルケッテについた。サン・マルコ広場からも近いし、どこに行くにも便利な場所だ。3つ星ホテルである。ええっ、来年から4つ星になるって?ヨーロッパのホテルの星のランクはシャワーやバスタブ、それにホテル内にバーや売店があるかどうかの設備で決まるらしい。決して大きさや場所や清潔さ等では無いという。だから星が多ければ全てが良いというわけではない。
 荷物を置いて散歩に出掛ける。今日1日電車に乗り続けだったから少し体を動かさないと。それから何か夕食になる物をゲットしましょう。ホテルのまわりをてくてくてくてく歩いていく。へぇ、いろんな面白いお店があるね。ヴェネツィアのマスク(仮装舞踏会用お面)を売っているお店がたくさんある。お面を集めている夫は興味津々である。
 おお、お持ち帰り用のピザやさんを見つけた。みんな、紙に包んでもらって買っていく。おいしそう。種類がたくさんある。それに一切れが結構大きい。2種類のピザを選んで包んでもらった。
「いい匂いだね。」
「ピザが手に入ったら、あとは・・・」
「ビーノ!ビーノ!」こういう時だけ一致団結夫婦である。ワインやさんを捜しててくてくてくてく。
「地元のワインを下さい。大きい瓶でね。」やったあ!これで夕飯はOK!
 ところが、ところが、道に迷ってしまった。帰り道が分からず、ぐるぐるうろうろ、ホテルの名前を言ったところでわかる人なんていやしない。観光客が大挙して来る町だ、ホテルの数だって半端じゃないし、昨今しょっちゅうオーナーが替わるホテルやお店が目白押し。それにここら辺に勤めている店員は殆どがこの町の外から通ってきている。
 せめてホテルのそばの目印を聞いておけば良かった。仕方がないので不本意ながらヴォバレット乗り場のジージョを目指すことに。訳の分からない道を通っているうちにいつの間にかホテルの前に着いたじゃないの。
 ふうう、疲れた。すごーく疲れた。
 ピザはとっても美味しかった。でも疲れた。まゆみ電池切れ!こうしてヴェネツィア最初の夜は更けていくのであった。お休みなさい!

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最終更新日: 2003/01/04