失語症記念館
素敵な人々

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俺の職場復帰

片岡 博道空白
茨城県那珂郡在住空白
推薦者:国立水戸病院 ST吉田真由美氏
空白

2001年 7月:

 茨城県那珂郡那珂町に住む、某電機会社に勤務している55歳会社員です。

発病:
 1996年6月5日 午後3時30分頃、出張に行くための打ち合わせをしていた時でした。それは突然のことでした。「あうあうあう・・・」言葉がうまく出てきません。打ち合わせをしていたのは二階だったので、本館に戻るために階段の所まで来ましたが、よろよろと倒れ込んでしまいました。話すこともできなかったので周りの人に任せるしかありませんでした。覚えているのはここまでです。
 救急車に乗せられて国立水戸病院に緊急入院となりましたが、最初の三日間は意識不明だったようで、全く記憶がありません。生命の危機を脱するとすぐに、ひたちなか市の病院へ高圧酸素療法を受けるために転院となりました。転院してから二週間後には、リハビリが始まりました。右の手足の麻痺と失語症が出ていたのですがその頃は自分では気がついていませんでした。私に下された病名は脳内出血でした。
 一ヶ月が過ぎたある日、先生に「お早う!」と言われたときに初めて「お・は・よ・う・・・」となんとか口にできました。これが病気になってから初めての言葉でした。言語治療は国立水戸病院に週1?2回行ってましたが最近は月に2回くらいです。

復職:
 翌年の2月21日、9ヶ月のブランクをおいてようやく会社に出勤することになりました。言葉がなかなか出ないので、すぐに現職復帰は無理でした。勤務時間も少し短縮してもらえて今考えれば職場の上司や同僚には大変恵まれた環境でした。最初の仕事はコンピューターのデータベースを入れていく仕事でした。顧客名簿を入れていくのですが、病気の前は簡単にできた仕事なのに片方の手が使えないだけではなく失語症があるので非常に大変でした。当たり前にやれていた事ばかりなのに、ぴんとこないのです。「どうやれば良いんだっけ?」という言葉さえうまく出なくて、同僚に目で合図するのが精一杯でした。
 肩は凝るし、目は疲れるし、何がなんだかわからないくらい辛い日が続きました。家に帰ると会社での不満や愚痴を言いたかったのですが、それもうまく伝わらないし、何とか我慢していました。その頃は、「喜怒哀楽」が「怒哀」ばっかりでした。
 春が近づいてくると口が少しずつ少しずつですがしゃべれるようになってきました。パソコンのショートカットができるようにもなりました。会社には、朝長男が送ってくれ帰りは妻が迎えに来てくれてそのままリハビリを受けに通院しました。
 杖をついて歩っていたのですが、蝉がうるさく鳴き始める頃には、杖もいらなくなりました。上司から「新製品の仕事をやってみないか?」と言われたのもこの頃でした。
 冬になると外国人のサービスマンの機械実習の指導まで任されてしまいました。日本人同士でもなかなかうまく伝わらない時があるのに、今度は外国人です。実習指導のベテランであったはずなのに、うまく伝わらないもどかしさの中で焦ってばかりでした。しかしこの時も若い同僚が仕事を手伝ってくれ、どうにかやり遂げることができました。

現在:
 失語症友の会葵の会に参加しています。昨年は全国失語症友の会連合会の総会に会の代表として参加しました。また、全国大会の神奈川大会にも初めて参加して、緊張と感動で胸がいっぱいになったのを昨日のことのように鮮明に覚えています。
 会社でもいろいろありました。協力会社が不良品を出してしまったため半年もそこへ監視のために出向させられました。その会社まではほんの少しの距離ですが、坂道があり又激しい交通量があるために足を引きずり、片手をかばいながらの移動はそれは大変で北風の中も汗びっしょりになることがたびたびでした。
 先日はテープに録音した会議の内容をパソコンに打ち込むように命じられました。茨城弁なら問題ないのですが、関西弁、東京弁、東北弁になんだかごちゃ混ぜな人までいて、失語症の私にとっては大変でした。たった1時間10分のテープでしたが、全部聞き取って打ち込むのに6日半もかかりました。「大変なんだぁ」と言語の先生に言ったら
「いいことじゃないの。『聞いて』『頭で覚えて』『記憶して』『キーボードで書く』リハビリになってしかもお給料までもらえるんでしょう?」
「はぁ・・・」・・・一緒に「大変だねぇ」と言ってくれると思ったら大間違い。でも、毎日毎日テープを聞いているうちに初めはなんて言っているのかわからなかった言葉がだんだん聞き取れるようになってきたのです。先生は「そんなに大変だったら、特別ボーナスもらいなさいよぉ。」と笑いながら言っていたけど、この耳の聞き取りが良くなっただけでも俺にとっては特別ボーナスです。
 この夏の全国失語症友の会の新潟大会にも葵の会のメンバーと元気に参加してきました。月曜日から金曜日まで仕事の後リハビリに通い、土曜日は、県北部の御前山村にある整骨院に行っています。2週間に1度行く国立水戸病院言語室では、そこで知り合った失語症の仲間とすごく仲良くやっています。
 3年前くらいから笑顔が戻り、この頃は腹の底から笑えることが多くなりました。いろいろありましたが、身体の障害を受けながらもこれまでよく頑張ったなあと思います。家族もよく協力してくれたと本当に感謝しています。
 これからも益々元気に、仕事や遊びに頑張るつもりです。


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最終更新日: 2009/09/10