失語症記念館
素敵な人々

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闘病生活後の私の生き様

八島 三男空白
松戸市在住空白
推薦者:松戸市立病院・国立国府台病院 ST横張琴子氏
空白

2001年 8月:

 私は昭和11年2月12日生まれの65歳です。病歴は昭和51年9月12日41歳の時脳内出血で倒れ、右半身麻痺と失語症が残りました。そして、近くの病院へ3ヶ月、松戸市立病院へ4ヶ月、群馬の沢渡温泉病院(リハビリ)へ1年と約1年七ヶ月の間転々としました。発病した時は頭の天辺で爆弾が2回程爆発したように感じました。松戸市立病院に電話をかけて予約を取ったのですが、救急車が出払っていて直ぐには間に合いませんでした。その内に意識が無くなり市立病院との約束も家の者に話す間も無く、気が付いたら近くの病院の救急治療室でした。10日間位意識が有りませんでした。ここの病院はリハビリも無いので市立病院へ変わりました。この頃のリハビリ科はPTの先生が2人と針灸師が3〜4人位だけでした。
 昭和53年4月元の会社へ職場復帰したのですが、右手が駄目で字は書けない、足は思うように動かない、言葉は喋れない、直ぐ忘れてしまうという状態でした。でも、臆せずにお客様の相手をしているうちに言語が回復してきました。約10年位かかりました。昭和62年か63年頃に会社を辞めました。理由は電車やバスが混んで片手では通いきれなくなったのです。
 この頃からワープロを買って練習し始めました。運動のために散歩したり、市のリハビリに通ったりしているときに(平成5年頃)誘われて東葛失語症友の会に入会しました。それと同じ頃に化研病院に勤めていたSTの杉田先生と語らいハッピーワークの前身のお仕事会を立ち上げました。この会の目的は、障害者はいつも支援される立場であったが、視点を逆にして我々も何かボランティア活動が出来るのではないかというものです。

ハッピーワーク

ハッピーワーク

会員の構成は障害者と家族、ボランティアが半々で41名、松戸市ボランティア協議会加盟団体です。介護用に使われる布きれ裁断の作業のほか、プリント学習、散策会、一泊旅行、ピクニックなど行っています。市内の障害者の作業所の方々と交流もあります。
 また、平成8年10月27日千葉県東葛失語症友の会の秋の大会のときに三代目の友の会会長に任命されました。この会は昭和56年に発足し、今会員は約260名、今秋20周年記念大会を催す予定です。当時は第1回千葉県大会や第17回全国失語症者のつどい千葉大会の準備があって松戸市と千葉市を何回往復したことやら、今では懐かしい思い出です。

東葛失語症友の会

東葛失語症友の会

 また、全国失語症者のつどいには毎回大勢の会員と共に参加しています。これからも元気でさまざまな活動を続けていきたいと思います。

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設営者:後藤卓也
設定期間:2001年3月15日〜2001年12月31日
管理:記念館
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最終更新日: 2009/09/10