2002年 春号: |
私は商業高校の教員で、昭和48年から汎用コンピュータを生徒に教えたり、県総合教育センターで汎用コンピュータとパソコンを県内の小・中・高校等の教職員に教えていました。その後、県教育庁で県情報教育センターの設計・建設の仕事をするなど順風満帆に見えましたが、平成2年11月に脳動静脈奇形による脳出血で倒れました。 |
横田さん
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右マヒで、それと同時に失語症を併発しました。1桁の加減乗除等が出来ない学力となりました。翌年の4月から1年間休職しましたが、復職を前提に身体と能力を取り戻すのに必死でありました。
ひら仮名・カタ仮名の五十音をノートに書きましたが、思い出さない文字があって(思い出さない文字はまちまち)、虫食いだらけの五十音表が来る日も来る日も出来て本当に参りました。
パソコンは「回復のてっとり早い方法」ではありましたが、ローマ字変換(たとえば「か」はKAと打つ)も思うように行かないことも日常茶飯事でありました。元来右利きなのに左手しか動かず、手が痛くなるので病院で作ってくれた左手用の装具をはめて打ち続けました。私が執筆したパソコン用の高校教科書も半分位しか意味が分からず、自信喪失の毎日でありました。
しかし休職中の半年を過ぎたあたりから記憶も徐々に戻ってきたし、またパソコンの世界は日進月歩で新しく覚えたことも沢山ありました。
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復職は、設計・建設の仕事をした県情報教育センターであり、また教職員にパソコンを教えることになりました。
復職して1年間は、県内の学校(教員)の学習指導案をデータべース化するのが私の主な仕事で、失語症の私には幸いでした。温かい上司と同僚が私の周りにいました。段々と会話が出来るようになり、2年目からはパソコン研修講座に講師の補助者としての仕事がありましたが、失語症と左手の私には職員一人一人が協力してくれました。昨年3月末定年退職をしました。
ところで最近のパソコンのキーボードはCtrl(コントロール)とAlt(アルト)が左右に付いていますが、これ以前に購入したものには左側のみで、パソコンがマウスやキーボードに反応しない状態で固まった時(フリーズもしくはハングアップ)、CtrlとAltとDelete(デリート)を三つ同時に押して「プログラムの強制終了」から抜け出さなければならず、Deleteは手が届かないので、誰かにやって貰うこともよくありました。それ以外は、複数のキーを同時に押すことで「ある機能が実現するショートカットキー」とか、「ユーザ補助の固定キー機能」をよく使用しました。
Windowsは便利な機能がいっぱいありますが、フリーズとかソフトによってはマウスとキーボードを同時に操作する等の動作は、片手ではどうにもならない場合がよくありましたが、何とか自分で工夫して解決したものもありました。
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今は連合会事務局会議、千葉県域失語症友の会協議会、市原市失語症友の会の活動と、ボランティアですがパソコンのIT基礎講座教室(難しいのはあまりよく分かりませんので)を自宅で開き、地域・町内の皆さんとゆっくりと楽しみながらマイペースで生活しています。やっと自分流の生き方が出来つつあります。
平成11年「全国失語症者のつどい千葉大会」の「千葉県失語症者のつどい実行委員会」はその役目を終えて発展的解散になり、代わりに12年より「千葉県域失語症友の会協議会」を発足させて今日に至っております。
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全国失語症友の会連合会「言葉の海」2002年春号 第75号 掲載
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