失語症記念館
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脳梗塞とその後の生きざま

松田 正久空白
葛飾区在住空白

2001年 7月:

病気してから満十三年になる。脳梗塞になったのが昭和の最後の六十三年二月で、退院が十一月、その翌年は平成と年号が変わったのだから正に病後は平成と共に歩んできたことになる。

入院したときはかなり病状も重く、二〜三ヶ月は全然動けないのでリハビリに行くようになった最初のうちは、キャリオールという車つきのベッドのようなもので行き、それに乗り移るのに看護婦さん二〜三人がかりで大騒ぎだった。
今だからこそ後遺症は比較的残らない部位が梗塞を起したのは幸いだった(但し命があるかないかは、紙一重とのこと)と言えるが、この発病した年齢は五十七歳で、これからが、二十四歳から勤めてきたサラリーマン稼業の集大成となるはずの重大な年であった。
だから誰でもそうだろうが、私もこの大事なときに病気になった不幸をどれだけ嘆いたことかわからない。
だけど私の場合は不思議に不幸を嘆き悔やむよりも、「命があって良かった」等々「何何で良かった」「何何が幸運だった」と上は神仏から下は部下や家族まで、とにかく感謝の日々だった。病気の前は不摂生の連続だったから、家内から「あなたは何時死んでもおかしくないと先生から云われたのよ」と聞かされたせいだったろう。
だからリハビリが楽しくて、リハビリタイムの三十分も前からわくわくと支度をしていたもので、最初は山口県に単身赴任していたので宇部病院、後に動かせるようになってから東京のJR総合病院に移り、このときなどは、朝に病室からリハビリルームに行き昼食休憩を挟んでST・OT・PTの訓練を受け、病室に帰るのが三時半、「まるで給料なしで毎日病室からリハに出勤しているみたいだ」と冗談を言ったものだ。
諸先生の本などに書かれているが、「病気の受容」ということは非常に大切だと思う。これは、私なりに解釈すれば、「自分が置かれている情況を前向きに受け入れ、今後の社会生活の中でどう生かすか」ということだと思う。
JR病院にいるときSTの小川先生に新宿失語症友の会の様子を見学に連れていってもらった関係で、退院後は新宿失語症友の会に入った。
何しろ友の会は初めてだったが、入院中の集団訓練の延長のような雰囲気でさっそく皆と仲良くやった。ただ、今になって振り返ってみるとこの頃は完全なお客さんで、皆とワイワイ楽しくやっていただけで、奉仕的な活動としては何もやらなかったようだ。


リハビリを我ながら一生懸命やったせいか、平成元年の一月から会社に復帰できた。それから三年間会社に勤め、平成三年に定年でやめた。
復帰したといっても皆が「気をつけろ!気をつけろ!」と言うだけの、いわゆる窓際族。私もまだまだ仕事が出来るゾ!と何も仕事をくれない会社を一時はうらんだこともあったが、物は考え様、今ならたちまちリストラだろうがよく辛抱して何もしない者を置いてくれたと感謝するようになり、一時はむくれて出なかったOB会にも顔を出している。


松田さん2

松田さんの似顔絵
後藤作成

このころ連合会の「言葉の海」誌の編集を、前の事務局長の松尾さんがやめることになったので引受け、見様見真似で在宅のままやるようになった。
これは平成三年の定年退職後も、葛飾失語症友の会結成後も、また下請けに再就職して足利の地に単身赴任した後も、平成十年にこの下請けをやめ連合会の事務局次長になってからも引き続いてやってきた。
「石の上にも三年」だが、十年近く編集をやるとなんとなく愛着が湧いてくるが最近七十才の声を聞くと身体が云うことを聞かなくなってきたので、連合会の方は事務局次長を退き、葛飾失語症友の会も会長職を交替した。
うかうかしていると、・・・まだ動けるうちに旅行などして遊ばなければ肉体的に動けなくなってしまう・・・ということを感じた次第。


先日東京都立墨東病院の鈴木勉STの主催で「失語症者の体験談を語る会」に出席する機会があり、比較的重度の障害者と家族の闘病記録と、軽度で社会復帰できた患者の体験談があったが、淡々と話されている中に我々が引き付けられるものがありとても良いお話だった。
その中で何事も前向きに取り組んできたし、これからも積極的にやっていきたい旨の表明があり大いに同感した。
仕事らしきことは辞めたが死ぬ前日までこの精神でやっていくつもりだ。
家内にも言っているのだが、私がベッドに着くようになったら、おそらくベッドの上で小言幸兵衛みたいにわめき散らしている、うるさいじいさんになっていることだろう。世の中に前向きに関心を持ち続ける、こういう年寄になりたいものだ。


松田さん1

松田さんの似顔絵
後藤作成

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最終更新日: 2009/09/10