失語症記念館
パソコン

1983年(発病した年)のパソコンはおママゴトのガスレンジでした。
ソフトウェアは自分たちで作らなければならないのですが、タネがないし実力がありませんでした。
病気になった私にはソフトを作るということは到底考えられないのでした。
退院してきた私には、一つ思いもよらないものがあったのです。それは、暇があったのです。
1、0、1・・・とアセンブラというものをしようと動かしたものです。
全然ものにはなりませんでした。その内、basicに取組みました。
パソコンをマスターする方法はいろいろありますが、お勧めは次ぎの方法です。
在宅勤務で記載しているように、私の場合は講習が受けられるところに転居しました。
アセンブラ、MS-C、C言語、Basicなどを秋葉原のNECやその他で受講しましたが、残ったのはBasicと私の分身であるパソコンでした。
講習には、妻が大変だったと思います。道や階段では介添人になり、講習ではメモ取りをしてくれたのです。
それで、自立したのです。
以後10年間、途中障害者でありながら在宅勤務で仕事をしてきました。
在宅勤務に向く仕事は、情報関係の仕事で、殊にインターネット関係など面白いし、取り組みやすいと思います。
インターネットの発達は、社会の根本を変えました。例えば、仕事は家でも出来ることなのです。
言語が不自由な失語症者がインターネットの仕事を行なうには、パソコンの扱いが不可欠です。
そのマスター方法があります。

その1:パソコンは、こわしてはいけませんが、こわすほどいじりまわすことが重要で上達の秘訣です。
その2:最初は何が何だか分からないのが、普通です。分からないものが出てきたら、回りの人やメーカーに電話で質問をすることです。
その時、電話に出た人に、「私は病気で早口では聞き取れません。ゆっくりお願いします」と伝えることを忘れないで下さい。
たいていは協力してくださいます。
その3:何でも同じようですが、パソコンの技術は、体で覚えることです。
失語症になって訓練した皆さん方は、右脳が訓練されているのですから、直感が訓練されているのです。それを使うことこそ、社会復帰の武器になるのです。

小学生位であれば1回でマスター出来るようですが、硬くなった頭は1回ではムリです。時間をかけて・・・。
失語症者にあるのは、時間です。
必要なのは、好奇心と熱心さです。がんばりましょう!!

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設営者:後藤卓也
設定期間:2001年3月15日〜2001年12月31日
管理:記念館
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最終更新日: 2009/09/08