失語症記念館
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第11回心の理論

神戸大学医学部保健学科
 関 啓子

2005年9月:

 私は大学で教務学生委員(略して教学委員)の長をしています。この夏は数年来の懸案であったカリキュラム作成作業が大詰めを迎え,会議に追われる毎日でしたので,本日はこの仕事の紹介から始めたいと思います。教学委員とは文字通り,学生の教育と生活全般に関する仕事をする人ですが,その職務内容は多岐にわたります。たとえば,休学や退学を申し出る学生は,進路や人間関係などに関する悩みを持つことがよくありますので,時間をかけて話し合いをします。また,図書館・教室・コピー機など学生用の設備や備品,文化祭やサークル活動などに対する学生の意見や希望の調整役になることもあります。予算をはじめ,時間的にも場所的にも物理的にも制約は多いのですが,教育環境の整備は教学委員の重要な仕事です。新入生オリエンテーションや大学説明会,後援会など学内外の行事で教育内容を説明することも教学委員長の仕事です。
 これらの仕事も重要ですが,いかによい教育を実践するかを考えることが教学委員の最重要課題だと思います。このため,教学委員会は授業とカリキュラムに関して様々な取り組みをしています。授業に関しては,授業評価アンケートの実施,時間割の整備,各教員の担当時間数の調整などがあります。また,カリキュラムに関しては,教育目標の明確化,カリキュラムアンケートの実施,現行カリキュラムの検討などに取り組んできました。さらに,教員に対しては教育法などに関する研修会や勉強会を開催し啓発活動をしています。

 よい教育の重要な担い手は学生です。教育を受ける立場である学生の資質や学習態度は質の高い教育を実現する上で重要な要因だと私は思います。教育は教える側と教えられる側の双方が影響し合ってこそ成り立つものだと思うからです。学力は入学試験の成績をみれば,ある程度わかります。しかし,医師,看護師,リハビリテーションスタッフなどのような人と関わる専門職者においては,適性や意欲が非常に重要な問題となります。どれほど成績優秀でも,相手をただ眺めているだけでは失格です。相手の様子を観察し,本質を見抜き,状態を判断することが必要です。つまり,単に「見る」のではなく,「観て」,「看て」,「診る」必要があると思うのです。大学での勉学においても,目標がしっかり定まりそれに向かって学ぶことの意義や必要性を理解している学生は,概して意欲的な学習態度を示します。
  ただ,残念なことに,高校までの教育では自ら学ぶという経験が少ないので,大学でも教えてもらうことだけを求め,自分で調べたり考えたりせずに正答を要求する学生が多いように思います。もうひとつ気になるのは,答えは必ずしも一つとは限らない領域であるのに,唯一絶対の解を引き出したがる傾向が学生に強いことです。学生たちがマークシート世代であることも無関係ではないかもしれません。いくつかの選択肢から正答を選び出すという回答様式に慣れてしまえば,答えは必ず選択肢の中にあること,また考える過程より選択した結果が重視されることを学んでしまうのでしょう。教学委員会では,学生たちの能動的な学習態度を引き出す教育方法を現在検討中です。

 相手の心の中を推察し,共感する能力は人と関わる専門職者に不可欠な資質です。心理学では他者の心の動きを推し量ったり,他者が自分とは異なる考えを持つ場合があることを理解したりする心の働きを「心の理論」と言います。「心の理論」を持っているかどうか確かめるために,「誤信念課題」がよく用いられます。最も基本的な課題は,「Aさんがおもちゃを赤い箱に隠して外出した。それを見ていたBさんがそれを赤い箱から青い箱に移してしまう。そこへAさんが戻ってくる。」のような内容の劇を見てもらってから,Aさんは赤と青のどちらの箱を探すかを質問するというものです。Aさんは留守中の出来事を何も知らないのですから,おもちゃは最初に自分が隠した赤い箱の中にあると思うはずです。しかし,このように正しく判断できるのは5,6歳児以上で,それより小さい子どもには誤答が多いことが知られています。自分が見たことを他の人も知っていると思いこむからです。このことは,幼児に自己中心的な言動が多いことと符合します。他者の視点に立って考え,相手の状態を推測できる心の機能は成長するにつれて次第に発達していくのですが,もしそれが発達しない場合には,社会性や対人コミュニケーションの面に問題を示すことが予想されます。したがって,これらの面に問題を持つ自閉症者や統合失調症者の中に「誤信念課題」に失敗する人がいることから「心の理論」との関係が注目されたのは自然なことかもしれません(Baron-Cohen et al.: Does the autistic child have a “theory of mind”? Cognition 21: 37-46, 1985; Frith CD and Corcoran R. Exploring 'theory of mind' in people with schizophrenia. Psychol Med 26(3):521-30, 1996)。

 当然のことながら,上に述べたような単純な「誤信念課題」には正答できれば,いつでも相手の視点に立ってその心を完全に理解し共感できるわけではありません。相手の好意を感じはするものの自分の気持ちを優先させてしまったり,相手の複雑な心の状態を推測できるほど自分が成熟していなかったり,あるいは相手の視点に立って物事を見ようとするあまりに余計な不安感や警戒心を抱いたり,と様々なレベルで失敗することが多いように思います。人間はそのような失敗を重ね経験を積みながら,他者を理解していくのかもしれません。
 社会経験が少ない学生たちに,言葉で「共感」とか「傾聴」を教えるのは簡単なことですが,実際にこれらの言葉が真に意味するものを理解してもらうのは非常に難しいことだと感じています。しかし,「難しいから」とか「未熟だから」という言い訳をしてしまっては,いい教育はできません。いい教育を実践するための教学委員の奮闘はこれからも続きます。

  

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