失語症記念館 失語症と共に
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私と失語症

松本 育恵
新潟リハビリテーション専門学校
言語聴覚学科 4年

2001年 9月:

 私は新潟リハビリテーション専門学校へ通っている、言語聴覚士(ST)を目指す学生で す。
私がSTを知ったのは、私の祖父が脳梗塞で倒れ言語のリハビリを受けたからです。
私自身が祖父の言語訓練を見たわけではありませんが、母から話しを聞き、そういう職業もあるのかと思い興味を持ちました。
そして、専門学校へ入り、3年半学校へ通っていま す。
その間、STになるためにたくさんの勉強をしてきました。
その中でも、一番勉強になったのは臨床現場での実習でした。


 実習中はたくさんの失語症患者の方と関わらせていただきました。
実習当初は患者さんとのコミュニケーションがうまくとれず、患者さんの伝えたい事が分かりませんでした。
しかし、関わりが増えるごとに、患者さんからの微妙なニュアンスが分かるようになり、ことばが無くてもコミュニケーションは取れるようになりました。
患者さんからの関わりも増え、とても嬉しかった事を覚えています。


 言語訓練が本当に必要なものなのか、本当に役立つものなのかとても悩んだ時期がありました。
訓練で全てが元通りになるわけじゃない、スラスラはなせるようになるわけじゃない、なのに訓練をして意味があるのだろうかと。
でも、実習に出て患者さんと触れ合い、その考えは間違っていると気付かされました。
私たちは日常生活の中で何一つ不自由なく話しが出来ます。頭で思った事をことばに出来ます。
しかし、失語症になった方には、とても難しい事なのです。
頭で思っていても声にならなかったり、相手の言っている事が理解できなかったり、また『失語症』自体まだまだ知られていないので過ごしにくい環境であったりします。
言語訓練は、骨折時に歩行の訓練を行う等の機能回復訓練と違って、目に見える変化ではないのです。
しかし、言語訓練を通して「オハヨウ」が言えるようになった、「ウン(了解)」「ウウン(拒否)」が言えるようになった、家族の『失語症』への理解が進み生活しやすくなった等、小さな変化が患者さんにとっては大きな変化なのだと気付かされました。
患者さんにとって、「オハヨウ」は社会活動参加への第一歩であり、他者とのコミュニケーションの広がりなのです。
また、「オハヨウ」が言える事で患者さんの話せないというマイナスな感情が軽くなってくれると思います。


 はなすことがうまく出来ない=コミュニケーションが取れない、ではないと思います。
聞き手の聞き方次第で、失語症の方とのコミュニケーションはいくらでも取れるのです(例えば「何食べたい?」ではなく「御飯とお粥どっちが良い?」など)。
そして、自由に話せる私たちも、聞き手に聞こうという姿勢が見られない時は話しにくいように、聞こうという姿勢を持つ事がコミュニケーションへの第一歩だと考えます。


 私はこれから社会に出て仕事としてリハビリテーションをするわけですが、患者さんの立場に立ち、少しでも患者さんに寄り添い物事が考えられるようなSTになりたいと思います。

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設営者:後藤卓也
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最終更新日: 2009/09/10