失語症記念館
restore.gif

Copyright (c) 2006 by author,Allrights reserved

第4回 大切な会話の成り立ち

フリージャーナリスト
 安田容子

2006年09月:

■陣頭指揮
 もう九月ですね。厳しい残暑が続いても、夜になると涼しい風が入って来て、草むらからは虫の音が聞こえてきます。
  蒸し暑い夜から解放されて、よほど気分がいいのでしょう、食卓に座っている父が、フンフンと鼻唄を歌っています。
その姿を見ていると、ああ、この夏も何とか乗り切ることができた、我が家の夏の行事も無事終えることができた、という思いが湧いてきます。
 夏の行事と言えば、お盆ですね。日本全国いたるところで帰郷ラッシュのニュースが流れるのは、八月半ばのお盆休み。大変だなと同情してしまいますが,帰る故郷がある人たちがうらやましくも思えます。
  なぜなら、我が一族では、この家に住んで父で四代目か五代目になるので、この家が実家であり、お盆には盆棚をつくらなくてはならないからです。
  父が元気な頃は、毎年陣頭指揮をして弟たちが手伝っていたものです。父が倒れてからは、母がその役目を引き継きましたが、二年前、母が亡くなってからは、弟たちと私にお鉢が回ってきました。ところが、母の新盆を迎えるつらさに加え、誰もきちんと覚えていなかったので、ああだこうだと言いながら、ちょっと大変だったのです。父もきっと心配していたのに違いありません。
 お盆といえば八月なのに、東京は七月にお盆を迎えます。どうしてでしょうね?
  我が家の盆棚は、仏壇の前に畳み半畳分の木枠を組み立てて作ります。大人の背丈より高い四本の細い柱を立て、その上下真ん中に横木を組んで、真ん中には板を敷きゴザをかけます。私が小さかった頃は、一斗樽を逆さまに置いて、その上に大きな掘炬燵の上に乗せる板を置いていたものです。
  板の上に置くのは、ご先祖様に差し上げるご飯のお膳が二つ。その手前に水の入った深鉢と、両隣には蓮の葉を敷いた重箱が並びます。
  水の入った深鉢には、紫色の小さな花をつけた禊萩の枝を三、四本まとめて束にし、手で持つ部分を半紙で巻いて置きます。両隣の重箱の蓮の葉の上には、賽の目に切ったナスとキュウリを入れます。お線香をあげて拝むときに、禊萩の束を深鉢の水にちょっと浸して、左右の蓮の葉の上のナスとキュウリにちょんちょんと水をかけるのです。
  そして、それらが乗った板の周りには、杉の葉で作った囲いをします。柱には笹の枝をくくり付け、上の横木には提灯や旬の野菜を飾ります。
  これらには皆それぞれ、いわれがあるはずです。父に聞けば少しは分かるでしょうが、そんな複雑なことを言葉に出すことは、今の父にはできません。もし何か話し始めたとしても、日常生活の簡単なことしか聞けない私たちには、父の言いたいことをきちんと理解してあげることは到底無理です。父もどんなにか言葉に出して伝えたいでしょう。それができないとわかっているからか、皆なが作っている姿をベッドから見守り、ちゃんと作っているかチェックしてくれているようです。
  「あっ、ダメ、ダメ」
  木枠みがうまく組み立てられず、弟たちが乱暴にガタガタさせていると、すかさず声が上がります。
  「お父さん、大丈夫だよ。壊さないから」
  弟たちがそう言っても、父はちょっと不満げな様子です。「もっとていねいにやりなさい」と言いたいのでしょう。
  弟たちが杉の葉で囲いを作り始めると、父がその手元を注意深く見つめています。そして、弟たちが無造作に杉の葉を並べていると、「こう、こう」と、左手を水平に動かしながら、声をあげました。
  「ああ、長さをこう横にそろえなさいっていうことでしょう」と、私が弟たちに言うと、父は「そう、そう」とうなずきました。
  お盆が来ると、迎え火を焚き、提灯を持って門まで「おしょろさま」をお迎えに行きます。家では昔から、ご先祖様の霊を「おしょろさま」と呼んでいます。きっと「お精霊さま」から来たのではないかと、私は勝手に想像しているのですが。
  そして、おしょろさまをお迎えすると、「はい、じゃあ、まずお父さんから」と皆が言い、父も当然というふうに真っ先にお線香を上げます。それから禊萩の束を水に浸し、左右の蓮の葉の上にちょんちょんと水をかけると、しっかりと左手で拝みます。その後、家族が順々に父と同じことをしていきます。その姿を父はじっと眺めています。
  お盆の中日には、お坊さんが来てお経をあげてくれます。盆棚の前に座ってお経をあけるお坊さんの後ろに、椅子に腰掛けて座るのが父の定位置。読経が始まると、父は左手でぐっと右手を持ち上げて拝み、何やらお経らしき言葉を一緒に唱えています。そして、読経が終わり、お坊さんが父に挨拶して下さると、父はニコニコしながら「ええ、ええ」と応えます。
  その笑顔を見ていると、自分はできなくなったけれど、やっぱり自分が陣頭指揮を取り、自分の役割を果たせたという満足感が浮かんでいるように見えます。
 ふだんは介護を受ける側の父も、お盆には家族の中心であるということが私たちにも改めて分かります。
  言葉が話せなくても、父が父であることには何の変わりもない。そのことを弟たちの家族も集まった中で、皆ながそう思い、父もそう感じている。
  毎年のことだからただ習慣を引き継いでいるだけだと思っていたお盆が、実は父にも私たちにも大きな意味を持っているのだということに、気づかされました。

■頭ごなしの会話
 人は他人から認められて初めて自分を認識する、というようなことを聞いたことがあります。自分の存在を無視されるのは、つらいことです。故意にではないのに、時として失語症の父の存在が無視されているなぁと感じることがあります。
  父が脳梗塞で倒れ退院してから、家には多くの人が心配してお見舞いに来て下さいました。右手のマヒや右足に装具を着けている父の姿を見て最初はびっくりするようですが、顔を見れば元気な頃とさして変わりません。それで、父に話しかけてきます。
  「お元気そうでよかったです。いやぁ、最初に聞いたときは信じられませんでしたよ。脳梗塞って何が原因だったのですか?何か前兆はあったのですか?今はもう大分いいんでしょ?・・・・」
  矢継ぎ早に聞かれても、父は「ええ、まあ、そうですね・・・・」とだけは言えますが、後が続きません。するとまた、
  「痛みはないんですか?歩けるようになるんでしょ?・・・・」と質問が次々と飛んできます。
父が「ええ、まあ、・・・・」と照れ笑いしながら応えていると、つい母や私が横から口をはさむことになってしまいます。倒れたときの様子から入院、手術、その後の経過など、今に至るまでの状況を説明するのです。
  すると、自然に話しのやりとりは、父を飛び越して、お客様と母や私になってしまいます。そして、「失語症で言葉がうまく出ないのですよ」と話すと、「ああ、だから・・・・」という顔つきにかわります。言葉が話せないということは、人が話していることも理解できていないと思い込んでしまうのです。
  私はあわてて追加します。
  「言葉は出なくても、ちゃんと話していることは分かっていますから」
  そう説明しても、相手の視線は父でなく、母や私に向けられてしまうのです。
  そういうとき、私は父の隣へぴったりと座ります。本当は「父の顔を見て話して下さい」と言いたいのですが、なかなか言い出せません。それに、そう言うと父にも分かって、嫌な思いをさせるかもしれないと思うのです。
  だから、相手が私に話しかけると、父の方を見てくれるのでないかと考えたのです。それでも私に話しかけてくるので、私は相手に返事をするとき、「そうですよね、お父さん」と父の顔を覗き込み、相手に父の目を見て話してほしいとアピールしますが、なかなかその意図は伝わりません。
  会話が自分を抜かして行き来していると、父の目からスッと光がなくなります。
  お客様は父を心配して来てくださっているのですから、父の存在を無視してるわけはないのですが、失語症とはどういうものかよく分かっていないことから、そして私がきちんと失語症について分かっていなかったから、そうなってしまったのでしょう。
  もちろん、父の目を見て話して下さる人もいます。父も一生懸命応えようとするのですが、「え〜っと」とか「それは」と出るだけで、後が続きません。そんなときは、「父はこう言いたいのではないかな」と、私が思ったことを言います。
  しかし、それは父の思いに近くても、本当に言いたいことではないかもしれません。父の存在を無視しているわけはちっともないのに、考えてみれば、私も父の顔を見ないで話す人と同じようなことをしてしまっているのでしょうか。

■ 家族の中でも会話の外に
  故意にではないのに、失語症の父の存在が無視されているなぁと感じるのは、家族の中でもあります。
  それは、弟の子どもたちのお誕生日や入学祝い、あるいは父や母の誕生日などに、弟たちの家族もみんなそろって集まったときです。
  最初は、「お父さん、今日はこの子の誕生日だよ」などと、弟たちもゆっくり話していますが、そのうちお互いの近況やら親戚の話やら、話題があちこち飛んで、ワーワー話が飛び交います。それは家族で何でも話し合えるいちばん楽しい時間です。
  しかし、そんなときふと気がつくと、父は会話の輪の外にいて、下を向いて黙々と一人で食べているのです。そんな姿を見ると、私は「お父さん、こうなんですって」と、そのときの話題を説明しますが、すぐまた話は移り、皆な遠慮なくあっちこっちで大声でワーワーしゃべるのです。
  時々私がみんなに割って入って、「お父さんにも話しかけてよ」と言うと、少しの間は静かになって、弟たちも「お父さん、こうなんだよ、ああなんだよ」と話しかけていますが、父にゆっくり一つひとつを説明するのは難しく、父が「えっ、えっ」と言っているうちに、誰かが「それはこうなのだよ」などと言い出し、またガヤガヤと話し始めてしまうのです。
  そんなとき、私は「もっと皆なが父に話してくれればいいのに」と腹が立つのですが、一方で、父は家族と一緒に食事をしていちばん安心してリラックスしているはずだから大丈夫かなとも思うのです。そして、多分、家族の皆も、父がこうやって皆に囲まれているから楽しいのではないかと思っているのだと思います。
  しかし、失語症について少し分かるにつれ、そうではないと思うようになりました。 いくら皆に囲まれているから楽しいのではないかと思っていても、その話していることがちゃんと理解されなくてはうるさいだけで、何で笑っているのか、何を怒っているのか分からず、自分だけ取り残されているように感じてしまいます。
  家族や親戚やお客様が集って話が弾むとき、どうやったら父にも話の流れが分かるようにできるのか、また反対に、家族や親戚やお客様にどうやったら父と会話することができるのかをわかってもらえるのか、私にはまだまだ勉強することがたくさんあります。
  そんなことを考えていると、お盆はやっぱり父にとっても家族にとっても父の存在が十分に感じられる大きな意味を持つ行事だとあらためて思えるのでした。

  

back
back

父と暮らせば
父と暮らせばへ


設営者:後藤卓也
設定期間:2001年3月15日〜2001年12月31日
管理:記念館
Copyright © 2001 author. All rights reserved.
最終更新日: