失語症記念館 失語症と風景
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失語症の風景:9

『ダンディが一番!』

言語聴覚士 吉田 真由美
国立水戸病院

2004年01月

 言語室に入っていくとなにやら、神妙な顔をして金曜日研修のSTが患者さんに説いている。
「Kさん、お酒の飲み過ぎは体に悪いですよ。肝臓が悪くなったら、お薬も飲めなくなっちゃうし・・・。」
「いいんだよ、もう死んだって!」無表情なKさんが、返した。
「でもKさんがいなくなったら、みんな悲しむでしょ!」
ウーン、説得力のないムンテラだなぁ。まぁ。どちらにしても、何か問題が起こっているらしい。早速廊下に戻って、椅子に座って待っている奥さんの横に座った。
「Kさん、どうかしました?」
「ああ、先生。ちょうど良かった。先生に相談しようと思っていたところなんです。」本から顔を上げた奥さんは堰を切ったように話し始めた。
 最近、Kさんが尿の出が悪いと訴えるので、泌尿器科を受診したら、前立腺癌が見つかった。今すぐ命に係わるほどのものではないので、気長に治療していこうと言われたという。元々、不眠気味だったKさんは「癌」と聞いてからよけい眠れなくなり睡眠薬を増量したという。でも眠れない。そして、これまた元来好きだった酒の量がこの時から日々多くなっていったという。そして夜中、トイレに起きるたびに、コップに半分くらい焼酎をそのまま一気飲みするという。お酒が無くなれば、夜中でもステテコ姿で外に買いに出てしまったり、トイレに間に合わずに廊下で失禁してしまうようなこともあるという。
 Kさんは、とても素敵なロマンスグレーだ。病気の前は、仕事も順調で、町を歩けば、みんなに声をかけられるような有名人であった。飲屋街を仲間と闊歩し、それはもてたらしい。多少、歩行のバランスが悪いとはいえ、今だってなかなかお洒落で捨てたものではない。失語症は決して軽いとは言えないが、いつでも私の白衣やピアスを褒めてくださる。
「娘の言うことも聞かないんです。」
奥さんは、もうどうしていいか分からないとうなだれている。
言語室では、堂々巡りの問答が繰り返されている。
そろそろスーパーバイザーの出番である。ドアを開けて中に入る。
「こんにちは、Kさん、しょぼくれてるんですって?」
「あれ、先生・・・。」まぁ、無精髭まではやしてる!
「ふふふ、Kさん、なによ、治るって言われた癌が心配で夜眠れないって?」
「そうなんだよ。」
「で?おしっこ漏らすほど、お酒飲んでるんだって。」
「・・・・・・」言葉に詰まったぞ。
「だっさいねー!」
「あ?」驚いた目になったぞ。
「格好悪いって言ったの!格好悪い!わかる?ダサイって事!」
「あ?」目がまじめになったぞ。
「Kさん、ダンディで格好良いと思ってたのに、気が弱いんだね。病気の前はもててたって聞いたのに。いい男は、最後までいい男の方が格好良いと思うけどなぁ。」
「・・・・・・」おお、真剣な眼差しになってる。
「死ぬんだからどうでも良いと思うかもしれないけれど、格好良いKさん知ってる人はちょっと幻滅するかも。ダンディな人は最期までダンディな方が格好良いと思うけどねぇ。」
「・・・・そうかなぁ」
「Kさんのこと、格好良くて好きだったけど、今は魅力無いよ。お酒飲んで、おしっこ漏らすって、みっともないよ。私は・・・格好悪い男は嫌い!男はダンディが一番でしょう!まぁ、Kさんの人生だから、自分で考えたら。あ、そうそう。言い忘れるところだった。あのね、睡眠薬やお酒飲み過ぎると、よけい興奮して眠れないって事もあるよ。まぁ、いいか。どうせ死んじゃったら、ずっと寝てられるもんね。そうだ、どうせ死んじゃうんだったら、言語訓練もやめちゃったら。医療費の無駄遣いだよねぇ。素敵なKさんは好きだけど、格好悪いKさんにあっても嬉しくないし。じゃぁ、Kさん、またね。」
 『そこまで言うかぁ?』担当STは困った顔をしていた。
 そして1週間後、担当STから報告が来た。
「驚きです。先生、あの日から、Kさん、お酒やめたそうです。そしたら眠れるようにもなったと言ってました。『あれにああ、言われちゃあ、ねえ・・』って笑ってました。でも、私には、先生のようには言えません。」
・・年をとれば言えるようになるのです。
そして、髭を剃り、いつものKさんのダンディな姿がまた復活したのであった。
注:万能薬ではありません。この処方は大変人を選びますのであしからず。(^^)v

失語症と風景
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最終更新日: 2004/01/10