山形の桜井です。
おらいの息子が嫁さんをもらい ついでに 「両家の謝辞」を私が読む羽目になりました。聞いてください。
略
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息子○○は18歳のとき、 山形の地を離れまして、それ以来大学就職と当地に住み、9年になろうとしています。
その間たくさんの人からお世話をいただき本当にありがとうございます。
われわれ両親としましては、その間何も出来ずただひたすら朝夕神様に祈るだけで、まず持って心から感謝を申し上げます。
よく○○は、山形よりも愛知の方が好きだと話していましたが、雪深い山形よりも、都会であります愛知の方がいいんだなと、親ながら思っていました。でも、それは私の考えが間違っており、息子の好きな愛知とは(愛を知る愛知)、それが本当の愛知だったのではないかと思っています。
さて私のことを申し上げてみます。実は14年前に脳卒中にかかり、(右半身麻痺)と(失語症)になりました。○○が中学3年生14才のときでした。
私の妻や家族は大変苦労したであろうかと思います。
ある夕方の時でした。病院の窓から、「赤トンボの大群」が見えたのです。
私は妻に「トンボがいっぱいいるな」と教えたつもりなのですが、それが他人には、「ウーウー」としかつたわらなかったのであります。
あとで知ったことですが、これは「失語症」といいましてはじめて知った病名でした。
幸い私の場合中程度の症状で済み、毎日(リハビリ)と(油絵)を描いております。
以下 省略
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きのう春日井市から帰ってきましたが、やれやれといった気持ちです。
それでは。
山形市 桜井 勇 |
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