失語症記念館
友からの便り2002年

あいさつ皆さんからのお便りをご紹介します。あいさつ

4月29日:桜井さんからの便り
山形の桜井です。

おらいの息子が嫁さんをもらい ついでに 「両家の謝辞」を私が読む羽目になりました。聞いてください。
               略
息子○○は18歳のとき、 山形の地を離れまして、それ以来大学就職と当地に住み、9年になろうとしています。
その間たくさんの人からお世話をいただき本当にありがとうございます。
われわれ両親としましては、その間何も出来ずただひたすら朝夕神様に祈るだけで、まず持って心から感謝を申し上げます。
よく○○は、山形よりも愛知の方が好きだと話していましたが、雪深い山形よりも、都会であります愛知の方がいいんだなと、親ながら思っていました。でも、それは私の考えが間違っており、息子の好きな愛知とは(愛を知る愛知)、それが本当の愛知だったのではないかと思っています。
さて私のことを申し上げてみます。実は14年前に脳卒中にかかり、(右半身麻痺)と(失語症)になりました。○○が中学3年生14才のときでした。
私の妻や家族は大変苦労したであろうかと思います。
ある夕方の時でした。病院の窓から、「赤トンボの大群」が見えたのです。
私は妻に「トンボがいっぱいいるな」と教えたつもりなのですが、それが他人には、「ウーウー」としかつたわらなかったのであります。
あとで知ったことですが、これは「失語症」といいましてはじめて知った病名でした。
幸い私の場合中程度の症状で済み、毎日(リハビリ)と(油絵)を描いております。
           以下 省略
きのう春日井市から帰ってきましたが、やれやれといった気持ちです。
それでは。
                               山形市  桜井 勇
4月29日:森川さんからの便り
千葉市   森川隆二です。

山形の桜井さん、おめでとうございます。
ご挨拶の中で「愛知は愛を知る....」のくだりは、受けたでしょう。
最後までご挨拶が出来たのは凄い!
私は4年前、息子の結婚式で最後の挨拶の時、 原稿を作り、暗記をしたつもりで話し始めたら、 1分もしない内に一言も出なくなり、結局女房に喋ってもらう事になったのを思い出しました。

4月29日:松岡さんからの便り
桜井 様
結婚、おめでとうございます。そして、地元におられたことを嬉しく思います。
私の息子の結婚式を一昨年、行いましたが、よくわかります。
私は挨拶もしましたが、「四季の歌」を何月もかけて練習しましたことを思いだしました。
私は、朝夕仏壇(私の父、息子からすると祖父さん)に向けて、早く孫ができますようにと祈っております。
妻は今月で還暦になりました。お祝いのつもりで兄弟と昼食しました。今、メールをみて桜井さんのことを知りました。
とにかく、良かったですね。また、東京大会でも会って話したいと思います。奥さんにもよろしくお伝えください。
松岡孝一

  

backへ
back

目次へ
目次へ

indexへ
next


設営者:後藤卓也
設定期間:2001年3月15日〜2001年12月31日
管理:有限会社ベイゲット
Copyright © 2001 author. All rights reserved.
最終更新日: 2009/11/18