失語症記念館
友からの便り2003年

あいさつ皆さんからのお便りをご紹介します。あいさつ

11月24日:浅野さんからの便り
本仁田山登山について

 11月4日(火)、東京奥多摩町の本仁田山「ほにたやま」に登って来ました。
参加者は男性2名、女性6名で計8名です。70歳以上の方もいます。
新百合ヶ丘のスポーツクラブでトレーニングしている方たちです。私は出来る限り 健常者と付き合いたいので、障害者は私のみです。

 前日に雨が降りましたが当日は晴れとの予報で決行しましたが、コースの 鳩の巣駅⇒頂上⇒奥多摩駅は雨上がりで滑りそうなので、逆方向の 奥多摩駅⇒頂上⇒鳩ノ巣駅に、電車の中で皆にコースの変更を伝えました。
 JR南武線登戸駅を7時過ぎに出発し、立川と青梅で乗り換え、9時過ぎに 奥多摩駅に着きました。青梅線では80%が埋まり、山登りの人達で一杯でした。
奥多摩駅は標高が300m位でしょうか。9時15分頃に歩き始めました。道は 舗装道路でしが、幅が狭くかなりの登りで、沢が遥か下になった頃、9時50分に 安寺沢登山口に着きました。ここで休憩してから、本格的な登山。
 地図に急坂と書いてありました通り、かなりの坂で、杉の木が植わっている 日の当たらない中を登ったのです。途中1回休憩して、10時45分頃尾根に 着きました。標高は800m位です。勿論木の種類が変わっており、木の間から 太陽が入って来るし、紅葉も始まっていました。尾根からは普通の坂道、途中 又休憩して、12時5分に本仁田山(1224m)に着きました。

 ここで弁当を出しての昼食。食事中に初めて別のグループが、鳩の巣から 登って来ました。70歳以上の方が居られ、ここは4回目と言っていました。
すごい!!頂上からは南側のみが良く見えましたが、せっかくの森林が大きく 削られており、石でも作っていたのでしょうか?
 12時40分に下山を始め、ほほ平ら道、1時に分岐となりました。そこからは スキー場のような幅の広さの所を降って行き、登りとは全然違う景色。
2時には大根ノ山ノ神に着き、休憩。ここからは又登りと同じ樹林帯を降り、 2時50分に登山口、3時には鳩ノ巣駅に到着しました。
ここでビールを買って、無事の登山に祝杯。

 3時24分発の電車に乗り、5時一寸前に登戸に戻って着ました。新百合ヶ丘 のスポーツクラプで風呂に入り、汗と汚れを取って帰宅しました。
11月15日:浅野さんからの便り
浅野です
11月4日に東京都の奥多摩駅から歩いて、本仁田山に登って来ました。
上では紅葉が始まっていました。
そこで、紅葉をと、14日、神奈川県丹沢湖の玄倉からユーシンロッジ までハイキングに行って来ました。ところが紅葉は黄色のみ、あの綺麗な もみじが無いのです。
という訳で、赤いもみじを家の周りで探すことにします。
もう一つ、今日は寒かった。朝の内は手袋を使いましたよ。
11月14日:荒井さんからの便り
 11月9日の日曜日松戸市の「森のホール」で、 東葛失語症友の会秋季大会が開かれました。
雨模様の天気でしたが、会場は賑やかに、半年振りの再会いや1年かな、 それぞれ感じていたでしょう。顔は見たことがあるが名前が分からない、 声かけようかどうか、を考えていました。
 八島会長の挨拶から始まり、歌と軽いリズム体操を横張先生の指導で 行い、いつもの様にグループ毎の話し合いがありました。
私の参加したグループは、みな見たことのある顔ばかり、初参加は司会 の聴覚士と介護士と生徒の3人でした。私は今日で何回参加している
だろう。顔なじみが増えるのは当たり前だとひとり関心していました。

 自己紹介、病歴、趣味、家庭、リハビリの様子を、それぞれが話すのですが、 何回聴いていても、勉強になります。失語症の人ですから、思っていることの 何分の一かでしょう。聴いていても気になります。

 初参加の人たちが、グループの司会者から紹介され、そのほとんどの人が 自分の名前を言うのがせいぜいでした。これからは本人の努力と家族の協力 が必要でしょう。ご主人が奥さんを介護する関係とその逆の関係、母親が息子 を介護する家庭、ひとつひとつが現実に進行しているのです。

 お昼になり、弁当が配られました。少しビールも分けてもらいます。片手でも 箸が使える人は箸を、使えない人はスプーンを用意します、と係りの人の声 がしました。女性たちが動いてくれます、ボランテア、学生です。その時間に 私はカメラを片手で撮って廻ります。あの人、この人容易に動ければ良いの ですが、そうは行きません。

 「ふれあい広場合唱団」が、赤、紫の大きなネクタイをして舞台に立っています。
その数30人ぐらいでしょうか、失語症者のグループと健常者のグループに 分かれて3部合唱もあり、これにはびっくりしました。人間やれば何でも出来 るんですネ。

 私が今日、最も感激したのは生のピアノ演奏が聴かれたことです。
お母さんが失語症で現在訓練中とか、その話「母と私」をしてから、ピアノの 前に着いたのです。演奏者は田村明子さん、プロのピアニストです。
「ショパン名曲集」として、@ノクターンA華麗なるワルツB英雄ポロネーズが 会場に流れました。何年ぶりに生のピアノを聴いたでしょう。パソコンから聴く 音楽とは全く違うのです。万雷の拍手がレセプションホールに響きました。
アンコールです。C別れの曲、これも知っています。いつしか私の眼には 涙がたまっていました。

 ピーナツリレーが最後にあり、大会は終了になったのです。
係りのみなさん、ありがとう、ご苦労さんでした。
私は「21世紀の森と広場」を家内の押す車椅子で、家に帰りました。
                              2003.11.14  

荒井 孝二

11月2日:岡田さんからの便り
お久し振りです。
今日は大変嬉しいお知らせです。
広島県立保健福祉大学の綿森先生が三原ロータリークラブより表彰されました。
広島県立保健福祉大学に来られ1995〜6年にかけ「失語症理解のために」と全15回の連続講座をきっかけに失語症ボランティアグループ「ひびき」そして三原失語症友の会「こだま」が発足しました。
先生の熱心なご指導のもと交流会や色々な行事をする事で失語症についての理解の輪が広がっているのです。

綿森先生監修の「純粋失読」と言う本をロータリーの方が読んで下さった事がきっかけになったと聞きました。純粋失読という 高次脳機能障害「見えない障害」についてロータリー
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表彰状

の方が目を向けて下さった事は綿森先生のお陰だと思います。

「純粋失読」という本をとうして「見えない障害」について少しずつ周辺の方々の理解が得られていることは嬉しく思いました。
失語症ボランティアグループ「ひびき」事務局の山田さん「自分達以外の所で 失語症について考えて いただけた、、、こんな嬉しい事はない」と感激しておられました。

綿森先生のおしみないご指導に感謝し 先生のご健康とご活躍をお祈りしお知らせ申しあげます。            岡田尚治

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最終更新日: 2009/11/18