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皆さんからのお便りをご紹介します。 |
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千葉市 森川隆二です。 「忘れな草友の会」のニュース(月刊)に、会員のご主人から寄稿された文です。 |
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昔の仕事仲間が病に倒れ、1年間の闘病生活を経て、介護が必要な状態で退院した。 入院中は、長い間、無菌室に入っており面会できず、そのうち自分の家内の介護に忙しくなってしまい、病院が遠かった事もあり、結局、見舞いに行きそびれてしまった。 そのお詫びと、多少、言い訳がましく家内の介護で苦労している旨の内容をしたため、手紙を出した。返事は期待していなかったが、自筆のハガキが返ってきた。そこには、たどたどしい字で、たった1行、こう書いてあった。 「介護するより、される方がもっと辛い」 ショックだった。そうだ!介護される方が、肉体的にも精神的にも何十倍も辛いのだ。 この当り前な理屈を頭では理解していても行動が伴っていなかった。 自分が凡人なるが故に、自分の現在の境遇に対する不満が時々顔に出てしまう。その度に家内は、世話をかけて申し訳ないと口に出し、時には涙ぐむ。今までは配偶者としての義務感で介護し、当事者の心の負担を余り斟酌していなかったような気がして、友人の一言が身に沁みた。 こんな時、私自身が痛風になり、階段で両足を揃えないと上れない、家内と同じような状態になってしまった。家内には、リハビリのつもりで片足で上るよう強要していたが、自分自身でその辛さを体験することにより、今までは全てに於いて健常者としての物差しで判断していた事にも気付いた。私の痛風の痛みは2週間で治まったが、家内は今後も長い時間との戦いが必要なのだ。 これからは、今まで散々苦労を掛けた家内に恩返しをするつもりで、家内の視点に立って考え、尚一層、精神的な支えになってやらねばと心に誓った時、自分の心の片隅で燻ぶっていた不満や苦痛がスッと消えてなくなった。 |
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東葛失語症友の会春季大会が5月23日(日曜日)、松戸市の「森のホール」で開かれた。あいにくの曇り空であったが、参加する人には関係なく会場は賑わっていた。回毎に見知った顔の多くなる大会で、今回もまた新しい人たちを迎えていた。参加者220人。ボランテアとして来てくれた、介護者、聴覚士、学生さんらが若く、初めての人たちが多く参加していた。 八島会長の挨拶から始まり、歌、リズム運動と続く。AからQのテーブルに分かれた17組、グループごとの話が1時間と少し、そして新人の紹介をグループの司会者がして、話せる人には喋ってもらった。その幾つか紹介する。 ☆「何故わたしが脳卒中になってしまったのか、思うように出来ない家事、主人にすまないと何時も思っている、悔しい」と、話をしていくうちに感極まったのか、泣き出してしまった女性。私も思わず涙が、でも喋れる・・・。 ☆主人を脳卒中で入院させている女性、「全くわからないんです、どうしていいのか、今日こういう会が開かれているから、行って御覧なさい、言われて来てみたんです」。この人もまだかなり若い人だった。 ☆「わたしは、もう失語症になって8年も経つのですが、まだこんな調子なんです。充分に話せないんです」すると横張先生が、すかさず「もう8年ではなく、まだ8年なんですね。9年10年経っても失語症は治るのですよ」と応えてくれる。私は「そうなんだ、そうしなければ治る失語症も治らないんだ」 彼女は私達のGグループの人だった。たしか「くも膜下出血」で失語症。 ☆若い男性が立っていた。「21歳です」「えッ・・・」私の方が吃驚した、本当に若い人が脳卒中になっているのだ。しっかり応えていたと思うが、気をつけてくれよ、人生はこれからだぞ、私の息子より10歳も年下なのに。 ☆「私は今年松戸に越してきたんです、娘のところに。日記をつけるのが 趣味なんです、近々20年が経つので失語症の記録を自費出版しようかと思っているのです」失語症?全く判らないですよ。 まだまだ続く、感心したり、安心したり、一つの言葉がみんなを励ます。 昼食となり、弁当が配られしばしの休息であるが、私は忙しい。前回に撮ってある写真を渡すのだが、会えない人も出てきた。 午後の呼び物はソプラノコンサートであった。歌う人、岡野尚子さん、ピアノは村田沙由里さん。ふたりは芸大の同級生であるとか、流石である。 「すみれの花咲くころ」で始まり、私達のよく知っている歌を集めてくれていた。ゴンドラの唄、琵琶湖就航の唄、君の名は、上を向いてあるこう、と つい口ずさみたくなる曲が会場に流れた。私達にある無聊を慰めるいい唄であった。介護にあたった隣の女性に聞いてみた。「君の名は・・って知っている?」「いいえ、知りません」「私達の若いころ、ラジオ放送で流行った菊田一夫の放送劇だよ。テレビの無いころ、みんなのおばあさんの時代かな、映画にもなってね」改めて自分の年を想い、今の時代を考えてみる。 グループ対抗のゲームである。何時ものピーナッツリレーもあったが、今回はビンゴが新たに加わった。各グループごとに渡された紙に好きな数字を書いていく、4×4のこま数である。係りの人が箱に入っている1〜100までの数字を持って各テーブルをまわる。なかなかビンゴが出ない。遂にビンゴは出て来なかった。短時間では100の数字が大きいのか、50ぐらいでよかったのかも・・・。でもみんな喜んでやっていた。 エンディングがきた。別れるときは「さようなら」を言おう、とても良い言葉である、そして今日の日は「さようなら」したのである。 2004.5.26 荒 井 孝 二 |
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最終更新日: 2009/12/08