その2;ペリーの日本遠征記 の中の横浜 |
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平洋航路はなかった)、大西洋を南下し、アフリカケープタウンを回ってインド洋経由、浦賀に翌53年6月 姿を見せた後、翌54年3月 日米和親条約締結を終えてアメリカに帰るまでの大統領への報告書である。日本での幕府(将軍をエンペラーと呼んでいる)との交渉経過・江戸末期の日本人への観察・横浜村での名主との交流など、今では信じられないような日本の姿が紹介されている。 A4版変形サイズ3巻の大著で、各巻約400〜500ページあるが、2〜3巻は植物をはじめ自然科学中心の記述で、ペリーの植物コレクターの面目躍如たるものがある。横浜関連記事だけを約80ページにまとめた縮刷版が、小松商会(рO45−662−0863)で¥750で頒布されている。 |
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