その5;横浜市の歴史は、縄文時代に始まる

 横浜の地は、1854年(安政元年)ペリーとの日米和親条約締結の地となって以来、一躍脚光を浴びるようになったが、まだ150年足らずの歴史の浅い都市である。
 しかし、この横浜中心街を取り囲む「横浜市の歴史」はというと、現存している遺構などから見て、一挙に紀元前の縄文時代に遡る 極めて古い歴史を持ったところであることに、大きな誇りを感ずる。しかも、その人たちが住んでいた住居跡・土器・鉄剣などが発掘され、大切に保存展示されているのをご紹介したい。
 7世紀後半に、全国に国郡里制が敷かれたとき、今の横浜市域は、武蔵国橘樹郡・都筑郡・久良岐郡と相模国鎌倉郡からなっていることが判っている。
 少し遡る5世紀後半頃は、関東地方は近畿政権と結びついた武相(南関東)と、独立性の強い毛奴(ケヌ)(北関東)とが、共に勢力伸張を図り、戦いが繰り広げられていたという。
 多摩川を隔てた北岸に、ほぼ同時期にできたと見られる全長100メートル前後の宝来山・鼈甲山古墳(いずれも前方後円墳)があるが、これらは多摩川以北の南武蔵を支配した首長たちの墳墓と見られている。これらの大型前方後円墳が、相互に
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弥生時代の大塚遺跡の竪穴住居跡
(市歴史博物館)
見渡せるような場所に集中しているのは、このあたりが当時の水陸交通の要衝であったからだろうといわれている。
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 横浜市のほぼ中央を流れる鶴見川上流の支流を東からみると、鷹野大橋でつながる矢上川、綱島でつながる早淵川、鶴見川本流の上流・谷本川、中山でつながる恩田川の、それぞれの上流域に数え切れないほどの古墳が発掘されている。
 矢上川;港北区日吉・日吉台地東に観音松古墳。
 この反対側の台地に川崎市加瀬・加瀬白山古墳。
 この二つは、近畿政権から配られた三角縁神獣鏡を出土した前方後円墳。
 早淵川;都筑区荏田町北・虚空蔵古墳(円墳)
 谷本川;青葉区大場町・稲荷前古墳(前方後円墳)
 稲荷前古墳の南約1キロメートルの朝光寺原古墳(円墳)からは、5世紀以降の特徴とされる甲冑・鉄剣・鉄製馬具など武人にかかわるものが多く発掘され、三殿台考古館で保存されている。
 鉄剣といえば、埼玉県行田市の稲荷山古墳(6世紀前半)から出土した辛亥年(471年)銘のある鉄剣に、金で「若タケルの大君に9代仕えたものの墳墓」と読める文字が残されており、国宝とされている。若タケルの大君は大和の大君=雄略天皇と考えられている。
 このほか、大岡川では南区永田町の前方後円墳、磯子区岡村の三殿台遺跡、柏尾川の戸塚区矢部町・東野台古墳(前方後円墳)があり、これら古墳はほんの一例に過ぎない。詳しくは、下記のところを訪ねて、目で楽しんでいただきたい。
土器・人形埴輪、左隅に甲冑
(市歴史博物館)
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銅鏡・土器・馬形埴輪
(県歴史博物館)
神奈川県歴史博物館 中区南中通 :045-201−0926 (休館日 月曜日)
横浜市 歴史博物館 都筑区中川中央 :045-912−7777 (休館日 月曜日)
三殿台考古館 磯子区岡村 :045-761−4571 (休館日 水曜日)
 氷河期を経て、約7500年前の縄文時代には、氷河期に低下していた海面が、気温温暖化とともに次第に上昇し、終には現在の海面を50メートルも超える高さまで達し、この関係で貝塚が山の頂上とか、思わぬ高みで発見されることになる。
 地球温暖化の影響が論議されているが、かつて5500年〜6500年前、今よりわずか2℃高かったということで、海面は5メートルも上がっていたという
気温の変化がもたらす地球人類のデータがあることを知って、慄然とした。
 ライオンズクラブで進めている地球環境問題の重要さを、この面でも体感できる資料ではないかと思う。 
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歳勝土遺跡の環濠竪穴住居
(約二千年前)
 参考資料;上記文中の資料以外の資料
1・図説横浜の歴史(横浜市市民情報室広報センター発行)
2・東海道と神奈川宿(横浜市歴史博物館編集発行)
3・図説神奈川県の歴史(貫達人監修 有隣堂刊)

《注》「横浜へのご招待」は、ひとまずこれで終わりとします。次回にはまた、新しく編集しますので、楽しみにお待ちください。
藤井 大至

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