最近世の中が変わってきた。いや今までと同じかも知れませんが、うかつな出来事が起きているようです。
昨年2011年3月11日、外出から帰って遅い昼食が終わり一休み、テレビで石原都知事が選挙に出ると云う報道を見ていた頃、横浜では震度5強で、25階建てのマンションがガタガタと揺れだし長周期振動にのり嵐の船に乗ったようでした。 エレベータは止まり、テレビは台座ごと滑りましたし、本棚が2本倒れてしまいました。
東日本大震災の地震、津波に遭った方々、そして更に原発事故が起きた福島の方々には、日本全体が悲しんでいますが、力を合わせ乗り越えていただきたいと思います。
同心円の20km圏内は立入りが原則禁止になりましたが、政府がSPEEDI (緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)について利用していなかったようです。
SPEEDIと云うシステムがあることを、国民に何故か当時発表されませんでした。後日発表されましたが、発表すると国民が混乱するからと関係者が云っていたらしいのです。何とも言えないものは、事故後、アメリカ・米軍には早く連絡が行われていて、日本国民には9日も経ってから知らされたと云うことです。
東日本大震災の仮設住宅についても、防音性、断熱性、窓の大きさ、玄関扉などは、地域に合わない仕様だと感じられます。
床の下に風が吹き抜ける、水道が凍りつくなど寒い寒いこのごろです。
バブル景気以降、平成の政治家・霞が関の人々には、日本のための何かが欠けているような気がしましたのは私一人ではないようですね。
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