昭和60年8月 |
東京に引越ししてから四ケ月になった。
暑くなった。八月である。
横須賀市の追浜の自宅から、二本電車を乗り換えて門前仲町の会社まで、私の体では三時間弱もかかり、通勤することは不可能だった。
右半身マヒである私が、三十分以内で会社に行ける所と云うことで、隣の駅の木場を探してきたのだ。
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木場は、今まで木材の町として栄えていたが、新木場が生まれ、新しい木材の町として育ってきていて、昔からある木場は、何か新しい町に変換しようとしているらしい。
ひっきりなしに通る自動車の騒音がうるさい三ツ目通りを歩くと、日比谷の二倍位の公園予定地が眠っている。
原っぱになっているこの町の商店や家や植木、お客さんや店員、木材やトラック、犬や猫、そして小鳥や虫は何処かへ行ってしまった!
いや、新木場へ行ってしまったのだ。
見渡すと、遠くからマンション群が迫っているような感じがするが、ここに、木や草花が植えられれば、緑や水の楽園が誕生する筈である。
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医者、STや患者の先輩が云うことには、言葉の為にも、体の為にも実社会に早く出ろと云うし、それより私自身が退屈で、「モウ、出社したい」と思うのだが、会社は、「まだ、休んでいろ! 休職期間が後一年半あるんだから!」と取り合わないのである。
一年半休んだら、発病前と同じように喋れるかどうかは甚だ疑問であるし、その間に首になったらどうやって食べて行くか分からないのである。
会社の人々の心遣いよりも、私は出たいのである。
しかたがないので、他社のショウルームを覗いてみたり、電話で質問をしてみたり、カタログを取り寄せてみたりして暇を潰している。
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一年八ケ月休んでいるのだ。 もう、今年は八月である。
去年の八月は、七沢から退院してから一ケ月目になっていて、鷹取山の家で蝉と一緒になって歌謡曲を歌っていたものである。
今年は、去年よりも上手になったような気がする。ゆっくりした曲なら、人前で歌ってもおかしくはなかろうと思うのである。
しかし、音痴には変わりはないんだけれど・・・。
木場の公園予定地を通って散歩をすると、日差しがジリジリと照らし壊した家のコンクリートを熱くする。
今日も運動だ。歩行運動だ。
鼻歌を歌って行くと、ジリジリとした太陽の声と鼻歌しか聞こえない。
夏の歌姫の蝉の声が聞こえない。蝉がいない。
木場には、蝉がいないのか!
真夏日が二十日程続いているのに、夏が来ないような気がするのは、蝉が鳴かないからなのかナ・・・。
暑くなっても、夏は来ない。
八月十日、蝉が鳴いた。夕方になると、もう、秋の気配がする。
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