失語症記念館
南イタリアの旅

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28.ドロミテのおとっつぁん

2002年 8月:

そのおばさん達はドロミテから来たと言っていた。
「ドロミテってどこ?」
「ほらスキーのメッカだろう?北の方のさぁ。オーストリアの国境近くじゃないかなぁ。イタリアと言うよりはもうスイスって感じじゃないの?スキー靴にあるじゃない、ドロミテってメーカーが。」さすが夫は何でも知っている。いやいや・・・私が無知なだけ。

 そういわれてみれば確かに聞いたことがある。おばさん達は4人くらいで固まっていた。それを率いているらしいのが体の大きな・・・フランケンシュタインみたいな顔をしたおじさんであった。大きな耳とぎょろ目、それに口からはみ出したこれまた大きくて未整列な歯が、どうしても映画のキャラクターのようでインパクトが強烈。
イタリア人だって美男美女ばかりではないのだ。話の内容から、家族と親戚らしいということがわかった。
 イタリア語でお父さんのことを『パードレ』もしくは『パパ』と言う。
待っていたバスがやっと来た。塀にへばりつくようにしてバスを待つ私達。ところが・・・ところがである。
「このバスは満員でもう乗れない。後のに乗ってくれー!!」開いたドアからドライバーが叫んだ。
「なんですとー?」へばりついていたおよそ20名・・・絶句!そこへドロミテのパードレ・・・いやいや・・・おとっつぁんと言う言葉以外に彼に似合う言葉があろうかとまゆみは確信する。そのおとっつぁんが出てきて叫んだ。
「俺達家族は5人だ。だから乗せてくれーーー。」おとっつぁんの叫びむなしくバスのドアは無情にも閉められ、ブブーッと行ってしまった。ここで「ごめんなさい」という言葉がいっさい無いのが外国らしいじゃないか。
「あああ、だからアマルフィーからバスに乗れば始発だったのに。」今更言っても始まらないけど言わずにおれないまゆみであった。

 そしてここからが大変だった。次に来るバスにも乗せてもらえないかもしれないと言う心配がみんなの頭をよぎったのだ。
 ここでおとっつぁんが家長の威信にかけて頑張りを見せることとな?た。
「先頭は俺達家族だったから、順番に並んでまとうじゃないか。」フムフム、もっともなことであるとその家族を先頭にしてみんな1列に壁にへばりつきながらまたバスを待つことになった。まゆみはドロミテ一家のすぐ後ろであった。待つこと20分くらいだろうか。
「おお、バスが来たぞーー。」安堵と不安を織り交ぜて、やっぱり壁にへばりつきながら待つ私達。おとっつぁんも大きく頷く。
 ところが・・・ところが・・・大変なことになった。先頭のおとっつぁんを軽く通り越して、バスは一番最後尾の客の前に停まってドアを開いたのである。
「ウォォォォォーーー!どいてくれ!どいてくれ!俺の家族が先頭なんだー!」そう叫びながら今や最後尾となってしまったおとっつぁんは壁にへばりついて待っていた30人近くの人とバスの間をすごい力で押しのけながら猛突進。まゆみも壁に押しつけられてあと少しで圧死するところであった。(少し大げさ?)
 やっとの思いで先頭まで辿り着いたおとっつぁんは運転手にこれまたすごい勢いでまくし立てた。
「俺達が先頭なんだーっ!だから俺達家族が1番に乗る権利があるんだーっ!俺の家族達よ〜〜、早くこっちへ来い〜!!!」おばさん達はちょっとはにかんだようにそしてちょっと困ったような表情を作って先頭の方へ移動し始めた。おかげでおとっつぁんは立っていたがおばさん達は皆座ることが出来た。
「すごすぎる・・・・」だれも文句を言う人もなく家族が乗り終わると、順次待っていた全員が無事乗り込んだ。
「お父さんは大変なんだよ。でもあれでお父さんの威信を彼は守ることが出来たんだ。」これは夫の感想。

 恐るべしドロミテのおとっつぁんである。
 でもこういう状況に遭遇するとサッカーの応援で殺し合いになって死者が出るのも頷ける。バスの順番に命を懸けるドロミテのおとっつぁん。まゆみはあのおとっつぁんの顔を一生忘れることが出来ないだろう。
 旅の日記におとっつぁんの似顔絵を描いた。
「何かいてるの?」
「見たら絶対笑うよ。笑ったらなんか買ってね。」
そしてやっぱり夫はそれを見て笑い転げたのであった。
絵も上手なまゆみであった?

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最終更新日: 2002/08/17