失語症記念館
南イタリアの旅

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5.ヴィエタート・フマーレ!

2002年 4月:

 マリッティア駅という名の埠頭にはすでにナポリからのフェリーが到着していて朝の殺風景な雰囲気とは異なり、人も沢山いるし、荷揚げの声などで活気に満ちていた。私達はナポリ行きのフェリーチケットの購入のためにここへやって来たのだ。フェリーは思っていたより大きくて立派!

   売り場は室内で3つ窓口がある。今は2人の男の人が座ってチケットをさばいている。今日出発するのだろうか。4,5人のイタリア人達が並んでというよりはそこら辺に寄りかかったりしながら思い思いの楽な姿勢で切符を買う順番を待っていた。こういうところでも日本人とイタリア人の違いを感じる。
 ふむふむ・・・どっちの窓口でも買えるようだ。値段はホテルよりも安いし、それに移動費まで含まれているのだから、フランチェスコの言っていたとおり、お得である。せっかくだから1番良い部屋にしようと言うことになった。

 イタリア語の本を見ながら、切符をくれという言葉を口の中で繰り返した。日にちまでは余裕がないので(暗記できないだけの話)、日にちは紙に書いて準備万端。言いたいことも暗記したし、少し心に余裕ができた私。さぁ、どこからでもかかってらっしゃい!
「ねぇ、窓口に書いてある言葉はどういう意味?」夫が私に聞いてきた。
「ヴィエタート?どれどれ、私が調べてあげましょう!」窓口のところにそれぞれ書かれているその単語を調べ始めた。なんだったっけ? 聞いたことあるんだけど。
 イタリア語自遊自在をぺらりぺらりとめくっていくとすぐにその単語が目に飛び込んできた。
「あったよ、あった。ヴィエタート、ビエタート!ヴィエタート・フマーレだぁ!」私は何も考えずに大きな声で言いながら夫の方を見た。
一瞬、周りのイタリア人全てが私の方を見た。煙草を吸っていた3人の男の人が、3人とも私の方を見ながら、『ごめんねぇ、悪気は無いのさぁ。大きなことじゃないよねぇ』という感じのニカーッとした笑顔を作ったと思うと手にしていた煙草を一斉にもみ消したのである。
・ ・・やってしまった。はい、そうです。私が大声で叫んだ言葉・・・それは「禁止!禁止!禁煙だってばぁ!」ってなかんじの意味だった。
「ごめんなさい、意味を調べていただけなの。別に吸うなとは言ってないの。だから吸って頂戴、思い切り・・・。」心の中ではそう叫んだのだが、ごめんねイタリアの人よ。そこまでの語学力が私にはなかったので、顔を赤くしてただ照れ笑い。
夫は又とぼけている。
「で、意味は何なの?」
「・・・・き・ん・え・ん・・・ダヨ・・・」小さな声で答える私。でもこれは大きな声で言ってもイタリア人にはわからないから小声の必要はなかった。・・・失敗の巻!だってこのフロアに灰皿があるってことはきっと禁煙じゃないに決まってる。この後私がいる間誰も煙草を吸う人はいなかった。
まゆみ、恥ずかしがりながら、やっと切符を買う順番に。
「ナポリまで2人分のフェリーの切符を下さいな。1等のお部屋で。で、乗る日はここに書いてあるので宜しく!」こういうのをオートマティックスピーチという。意味を介在せずとも頭を出せば尻尾まで。つまり私のイタリア語のこと。
「おお、マダムはイタリア語が話せるんだね。」窓口のとても素敵なお兄さんがにこやかに応対してくれた。
「へい、ほんのちょっとです・・・」だって本当にその通り。
まぁこういうわけで、ちょっとした事件で汗を沢山かいたけどフェリーの切符はたいした苦労もせずゲット。

ホテルに帰るともう6時。お昼が少し遅かったのでお腹も空いていない。足は棒のように疲れている。部屋に入ると緊張が取れたせいか、一気に体中の力が抜けてしまった。
「ごめん、まゆはもう寝ます。」急いでコンタクトをはずして顔を洗って歯を磨いてパジャマに着替える。
「シャワーを浴びないの?夕飯は?」
この言葉も最後まで聞いていたかどうか・・・。まゆみ電池切れ。あっという間に夢の中。このために夫は2日間夕飯を抜く羽目となり、私は、きっかり夕方6時に寝て夜中の1時半に起きてしまうと言う完全な時差ボケに突入するのであった。

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最終更新日: 2010/08/29