失語症記念館
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第4回  言語と思考

神戸大学医学部保健学科
 関 啓子

2005年2月:

 2月は大学をめざす多くの人にとって勝負の月です。入学試験の形態が多様化していますから,中には推薦入学などで早々と合格が決まった人もいますが,多くの受験生にとって今月が正念場といえるでしょう。年明け早々に始まった大学入試センター試験に続いて,私立大学の多くでは1月末から2月にかけて入学試験が実施されます。国立大学の入試はこれよりさらに遅く,前期日程が2月25日に,後期日程は3月12日に予定されています。私は毎年のように試験監督をしますが,当日は歩いても音がしない靴を履き,受験生を刺激するような言動をしないように心がけます。そして,緊張した面持ちで開始時間直前まで本を離さない受験生たちに,「みんな,がんばれ!」と心の中でエールを送ります。
  実技以外の多くの入試問題はペーパーテストの形式で行われます。外国語の科目でヒアリング問題が取り入れられてきてはいますが,ほとんどの科目では設問を読んで理解し,考え,答を書くことが求められます。書くとは言っても,いくつかの選択肢から正答の番号を塗りつぶすマークシート方式が多いのですが,それでも設問を解く過程では書くことが必須です。新聞などに発表される入学試験の問題はかなり難解なものが多いように思われます。受験生でもなければ,設問を理解することすら容易ではないと感じる人も多いのではないでしょうか。一般の人でもそう感じるなら,読み書きに障害がある失語症者にとっては,なおさら試験問題を解くことは至難の業でしょう。

 それでは失語症者は考えることができないのかというと,そんなはずはありません。失語症は脳損傷の結果,言語機能が低下した状態ではありますが,知的機能が低下したわけではないからです。多くの失語症者は,失語症を持ちつつも日常生活の様々な場面でよく考え適切な行動をしています。もし,言語がなければ考えることができないというのであれば,言葉を持たないチンパンジーや,言語獲得前の乳幼児が思考を要する課題を解決できることが説明できません。また,失語症が重度なのにパズル問題などを見事に解ける方がおられることも,言語と思考が必ずしも不可分ではないことを示しています。
  とはいえ,言語と思考は密接に関係していることもまた事実です。私たちは,考えたことを書いたり言葉に出したりすると整理しやすいことを日常的に経験しますが,読み書きが困難な失語症者はこの作業を経ずに考えをまとめなければなりません。思考には言語を介するもの(言語的思考)と言語を介さないもの(非言語的思考)があるとされています。したがって,失語症者は質問に答えたり文章を読んだりするような言語性課題は難しいものの,図形問題のような非言語性課題まで同程度に難しくなるわけではないのです。言語と思考の関わりに対する関心は高く,これまでに様々な観点から多くの優れた研究がなされています。私も言語学を学んでいた大学生の頃に,「思考と行動における言語」(S.I.ハヤカワ著,大久保忠利訳,岩波現代叢書)や言語相対性仮説を学んで感銘を受けたものですが,当時の私にはあまり現実感はありませんでした。
 言語の専門家となった今,私は以前より言語の力を強く感じるようになりました。一つには,失語症など言語機能に障害を持った方々と接する中で,コミュニケーションの手段として言語がいかに重要な役割を担っているかを実感したためです。さらに,思考の道具や行動の調整役など様々な形で相互に関連して人間の精神活動を支える言語の大きな力を知ったためでもあります。

 言語と思考に関連した研究を2つ紹介しましょう。ロシアの研究者ヴィゴツキーは,ロシア語を解さない外国人の集団の中にロシア人の子どもを入れると独り言が減り,困難な問題に直面させるとそれが急増することを観察しました。そして,この独り言がコミュニケーションの手段としての機能も備えてはいるが,同時に思考の道具としても用いられたと考えました。確かに,大人でも難問を解いたりする際に,知らず知らずのうちにぶつぶつ独り言を言うことがあります。思考の道具としての言語は,推論や抽象化などを要する複雑な思考過程で威力を発揮するようです。
  言語の調整機能に関してはルリアの一連のランプ押し実験が有名です。赤ランプがついたらボタンを押し,青ランプでは押さないという課題を3〜4歳児に実施したところ,この子どもたちにはできませんでした。そこで,その前段階として赤ランプがついたら「押せ」と言い,青ランプには何も言わないという練習をしてからボタン押し実験に戻ったところ,今度は成功しました。ところが,同じ対象に赤ランプには「押せ」,青ランプには「押すな」という予備練習をしてからボタン押し実験をすると,両方とも押してしまう混乱が頻発したのです。一方,同じ実験をした5〜6歳児は「押せ」あるいは「押すな」という言葉に正しく反応したばかりか,次第に声に出さずに正しい行動ができるようになったのです。このことから,ルリアは言語の調整機能はまず自分で声に出すことから始まり,次第にその言葉の意味によって行動調整がなされることを示しました。

 失語などのリハビリテーションにおいては,秘められた言語の力を最大限に引き出すことが大変重要です。ルリアの最初の実験では,子どもが言葉を発するだけで反応が引き出せました。つまり,この段階では単なる発声が行動開始の機能を持ったということです。平たく言えば,声かけとか合図のような意味合いで言語が使われているわけです。 例えば,重度失語でもセラピストと一緒に「目」や「手」などの短い単語を斉唱すると,閉眼や挙手などの行動に結びつくことがあります。ところが,次の実験では単なる発声や発語では正反応を得ることができませんでした。課題が複雑になったからです。この段階では子どもに自分自身が発した言葉の意味を考えさせることが必要だったのです。リハスタッフと一緒に「1,2」とか「左,右」とか声かけしながら歩行訓練をしている患者さんが,言葉と動作がちぐはぐになっている場面を見かけることがありますが,言語の力を利用していない例と言えましょう。同様に,復唱の繰り返し訓練だけでは必ずしもその言葉を自発的に言うことに結びつかない印象がありますが,これは復唱が意味を考えなくてもできることと関連しているのでしょう。

 言語と思考の関連を追求した研究はまだまだたくさんあります。これは失語症のリハビリテーションを考える貴重なヒントになると思いますので,今後もテーマに取り上げていきたいと思います。

  

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最終更新日: 2005/02/24