失語症記念館
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第8回語想起課題

神戸大学医学部保健学科
 関 啓子

2005年6月:

 大学という場所は教育とともに研究が大きな柱ですから,通常の授業の他に学会や研究会などへの参加は重要な仕事です。今月,私は2つの学会に参加してきました。一つは言語聴覚士で構成される言語聴覚学会で,6月11日(土),12日(日)に埼玉県の大宮市で開催されました。もう一つはリハビリテーションに携わる医師や専門職で構成されるリハビリテーション医学会で,6月16日(木)から18日(土)まで金沢市で開催されました。学会では座長をしたり,共同演者として演題発表したり,発表に対してフロアーから質問したり,さらには会議に出席したり,古い友人と情報交換をしたりと,大学での日常とはずいぶん異なる活動をしてきました。知らないまちに出かけてその土地のおいしい物を食べられるという点では学会は楽しみでもあるのですが,慣れない会場を歩きまわりたくさんの人で混雑するポスターを見たりするのは少々苦痛でもあります。しかし,どんなに疲れてしまったとしても,私はいつも前向きな気持ちで学会から戻ってきます。頑張っている人からいい刺激を受けて,研究に対する熱い思いをかき立てられるからだと思います。

 今年の言語聴覚士学会で座長をした二つの演題は,どちらも健常者の語想起に関するものでした。語想起課題とは,動物の名前を1分間でできるだけたくさん言うというようなもので,失語症検査の検査項目にも含まれています。思い出す語は動物や野菜など特定のカテゴリーに属する単語とすることが一般的ですが,「あ」で始まる言葉のように語頭音を指定する場合もあります。おそらく,私がかつて指導した院生の論文(太田貴奈,関 啓子:語想起課題の成績とその影響要因―項目,年齢,性別による語産生の違いについて―,言語聴覚研究1:9-15, 2004)がこの内容であったために,私が座長に指名されたのだと思います。ちなみに,この院生は大学院を卒業後,青年海外協力隊の一員としてアフリカに赴き,今も活動を続けています。
 失語症があれば,頭の中の辞書が不完全になったり,あるいは辞書の引き方がうまくいかなくなったりしますので,思い出せる単語の数が発症前より減るのは当然と言えます。しかし,失語症がなくても単語を思い出しにくい状態になることがあります。例えば,認知症(「痴呆」の新しい呼び方)でも単語の想起数が減ることが知られています。この場合は,自分が前に言った単語を覚えていられずに同じ単語を何度も繰り返してしまったり,与えられたカテゴリーには含まれない条件外の単語を言ってしまったりなどという失敗がしばしばみられるようです。また,大脳の中でも前頭葉と呼ばれる前方の部分に機能障害がある場合にも単語の想起数は減ると言われ,そのために語想起課題は前頭葉の機能を知るための検査にもなっています。私たちが動物の名前を思い出す際には,動物園の情景を思い浮かべたり,ほ乳類とか鳥類などのような分類を利用したりすることが多いものですが,前頭葉がじゅうぶんに働かないとそれがうまくはいきません。単語を思い出すために必要な頭の柔らかさや発想の豊かさが不足してしまうので,言葉に詰まってしまうのです。

 語想起課題のやっかいな点は健常者でも成績不振の人がいることです。あまりに思い出せない場合には,想起数が脳損傷者より少ないことまであるのです。同じ人がどのような課題でも想起数が少ないこともありますが,課題によってできたりできなかったりという場合もあるのです。そうなると,この検査ではどういう課題をどういう人にやった場合,想起数はだいたいこの範囲ということが示されないと,結果の解釈がなかなかむずかしいということになります。一般的傾向としては,年齢が高くなるにつれて語の想起数は緩やかに減少していきますが,そうでない場合ももちろんあります。しかし,加齢にともなって自分がすでに言った単語を繰り返してしまう現象ははっきりしてくるようです。私はつい先日53歳の誕生日を迎えたのですが,自分が先ほど言ったことを忘れてしまうことに気づいてがっかりすることが最近増えてきたように思います。若い頃はそんなことは決してなかったのに,と少々強がってみたりもするのですが,事実は事実として認めざるを得ません。年を重ねていく過程で,記憶力の低下は避けて通れない問題なのかもしれません。
 性別でみると,一般的に女性の語想起数が男性より多いという性差があるのですが,特定のカテゴリーではそうでないことがあります。例えば,Capitaniらは工具の語想起数に限って女性より男性が有意に多いという逆転現象がみられたことを報告しています(Gender affects word retrieval of certain categories in semantic fluency tasks. Cortex 35: 273-278, 1999)。考えてみれば,女性より男性の方が工具の使用頻度が高いはずですから,もともと知っている工具の種類も多く馴染みや親しみやすさも加わって,そのような結果になったのでしょう。

 そうなると,単に想起された語の数だけではなく,質的側面が気になります。例えば,野菜はどの年代でも女性の方が男性より想起数が多いのですが,高齢群と若年群では想起する野菜の内容に若干相違があります。想起頻度の高かった野菜上位10種類のうち,8種類は年齢に関わりなく同じでした。ところが,高齢群で高頻度に想起された「ほうれん草」と「白菜」が,若年群では「レタス」と「ピーマン」に取って代わられています。これは「野菜の品目別1人当たり年間購入量の推移」(野菜供給安定基金,2002)を見ると一目瞭然ですが,その世代にとって馴染み深い野菜が時代とともに変わってきたことによると思われます。このように,想起する単語には本人の生活習慣や生活歴などが反映されていると考えられ,非常に興味ある結果だと思います。

 動物の名前は誰にとっても比較的思い出しやすく,年齢の影響も少ないために最もよく使われる語想起課題です。私たちの研究では健常高齢者は平均で16.5語(最小8個,最大27個)を想起しました。バラツキはかなり大きいものの,失語症者では目標を10個あたりにおいてみたらよいのではないかと思います。動物園にいかなくても,ペットとして犬や猫は日常的に目にする動物ですし,肉屋さんには牛,豚,鳥などの肉が並んでいます。また,水槽には金魚が,池には鯉が泳いでいます。さらに,空を見上げれば,雀や鳩,カラスや渡り鳥たちが飛んでいます。毎日の生活の中でいろいろなことに興味を持って周囲を見回す習慣をつければ,10個の動物名を思い出す練習にもなるのではないかと思います。

  

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最終更新日: 2005/06/24