その3;「気笛一声」の横浜駅は桜木町だった

 わが国初の鉄道開設は、1872年(明治5年)10月14日、英国人技師エドモンド・モレルを建設師長として明治政府は品川を起点として野毛の海岸地を終点とした鉄道建設を計画。
 野毛の海岸埋立地39,000平方メートルを神奈川県から譲り受け、小田原・根府川・真鶴・湯河原などの石が切り出されて、埋め立てに供された。
 途中の停車場は、川崎・鶴見・神奈川の各駅だが、終点横浜駅は、現在の桜木町であった。当初 計画された場所は、関内住吉町だったが、油煙にまみれるという反対の声のため、桜木町駅になった。今も桜木町駅には、このモレルの肖像碑が飾られている。
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品川・横浜間の陸蒸気(県歴史博物館)
 その後、1889年(明治22年)東海道全線開通したとき、関西方面に行くのに一旦現在の桜木町駅まで入ってきて、次の保土ヶ谷へ向かうのにスイッチバックして行かねばならず、神奈川駅から保土ヶ谷駅に直行させるために途中に平沼駅を作った。しかし、駅舎拡張の余地がなく、高島貨物駅の近くに二代目横浜駅を作った。
 しかし、 これが関東大震災で全壊したため、今の横浜駅の地に3代目の駅舎ができたのが、現在という次第。
 新橋(汐留駅)・横浜から おのおの出発した汽車は、川崎駅で交換することになっていたため、両列車がきちんと時刻を守って運転されなければならず、時間厳守は乗客にも求められた。駅の規則として「10分前にステーションに来たり、切手買いその他の手続きをなすべし」と、明記されていた。
 乗客たちは、それまで経験しなかった「分」単位の行動を要求され、これが人々に時間厳守の習慣を植え付けて行ったばかりでなく、西洋から輸入された時計を、東京・横浜経由で全国に広める働きもしたようだという。
  また、芝居小屋に入るにも、入場券を買って入るというスタイルに改めたのが、明治7年関内住吉町に開場した芝居小屋「港座」が初めである。
  10月14日、新橋駅での開通式に明治天皇が4頭立ての馬車で列席、式後 乗車され、沿道では盛大な祝砲。所要時間58分。時速28.9キロメートル。上等席 1円12銭5厘、下等でも37銭で、当時で米10キロを買える料金だった。(1升=1.4Kg 5銭)

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