その4;関内に松代藩の大砲 が放置

 関内・山下町シルク通りレストラン「かおり」角から中華街方向へ約50メートルのところに、古い大砲の砲身が3基飾られている。
 ここの解説板を読むと「この大砲は、当社新築工事中、この地から発掘されたものである。嘉永7年(安政元年)、米国使節ペリーが来航、幕府は会見の場所で使節と交渉させるに当たり、松代・小倉の二藩に警衛を命じた。松代藩 佐久間象山は、軍儀役としてオランダ式野戦砲2門・
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佐久間象山が捨てていった大砲
牛角砲2門・本込銃卒100名の他、槍刀兵などの装備で威風堂々と出陣して来て、幕府を驚かせた。佐久間としては、ペリー何するものぞと、大砲で追っ払うつもりだったのだろうが、幕府からの撤去命令が厳しく、断腸の思いでこの地(沼)に埋めたものである」と。松代親藩の攘夷派と井伊直弼の対立が目に見えるようで、この大砲の雨ざらしが悲しい。(下線部分は、筆者が記入)     

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