失語症記念館
友からの便り2004年12月

あいさつ皆さんからのお便りをご紹介します。あいさつ
12月9日:和田博さんからの便り
新潟県中越地震

和田 博

 あれは23日夕方6時前でした。ドンと揺れて始まりました。一旦停電になりましたが直ぐにつきましたので良かったですが、次の地震の時また停電しそれからもう電気がつきませんでした。私は丁度パソコンをやっていました。
 パソコンの机に摑まっていました。部屋が真っ黒になったので何も出来ませんでした。  四脚杖も倒れて暗くてよく解りませんでした。そのうち暗い部屋に慣れてきて四脚杖を拾って、ヘルストン(電気で血をサラサラにする。他、疲れも取る)にズーと座っていました。
 地震は何回もきました。私はもう半分泣いていました。(怖かった)妻はまだ会社から帰って来ませんでした。そのうち消防団の車が十日町小学校グランドに避難して下さい。とアナウンス…。私は停電したので昇降機が使えないので下に行けませんでしたのでヘルストンに座っていました。
 地震が来るたびに窓を見ていて家がユラユラとよく解りました。こんな地震は初めてでした。

  近所の人が2人来てくれて私を下に降ろしている時に妻が会社の人から送ってもらってきました。そして、小学校グランドに行きました。もう皆さんグランドに避難していました。(余震度々きました)そのうち幼児、子供、お年寄り、体の悪い人を優先的?に十日町コミセンに移動しました。夜中の1時過ぎに「岡南の郷」の人がきて、私はベッドで寝ないと駄目なので岡南の郷に移動させていただきました。

  そして避難生活が始まりました。
  岡南の郷も地震の影響で電気、水道が止まりトイレも当然使えなったのでポータブルトイレを使用していました。ご飯は毎日朝、昼、晩とオニギリかパンが出ました。お茶(ペットボトル)ペットボトル水がありました。

  また、避難生活をしている時も強い余震がきて何時帰る事が出来るか?不安でしたが11月2日昼から家に戻りましたが、夜寝る時は駐車場にベッド(レンタル)とポータルトイレ(購入)を置いて寝泊りしていました。(妻とルナは2階)いつでも外にいけるように…。日中は2階で過ごしていました。が余震が来た時は怖かったです。
一ヶ月以上たつのにまだ余震が来ています…が。早く地震が来ない生活に戻りたいです。
家の壁紙の切れた写真 お墓の写真 11月10日の脱線した新幹線
の撤去作業

12月4日:相馬さんからの便り
 こんにちは国分寺病院の ST 相馬です。

 昨日27回目となる「若い失語症者のつどい」が板橋区グリーンホールで開催されました。
 集まったのは失語症者27名(男性19女性8名)、ご家族9名、その他14名、合計50名でした。
プログラム自己紹介
「縄文笛コンサート」、 縄文笛毅さんと縄文笛さんへの質問
歌 「ジングルベル」
 自己紹介では、いつも通り最近の過ごし方や外出の報告など一人一人の報告にじっくり耳を傾けました。
 縄文笛の音色 風のようにはかない音から力強い大地のような音まで幅広く私たちを太古の昔へ連れて行ってくれるような懐かしい音でした。
 次回は2月5日千葉方面で会を開催する予定、また4月の観桜会は茨城で行う計画も出ています。


設営者:後藤卓也
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最終更新日: 2009/11/19