失語症記念館
南イタリアの旅

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1.落雷

2002年 3月:

 2001年4月22日日曜日、私はシチリア島にあるパレルモという町でイタリア初日の朝を迎えてた。
 成田を発ったのが21日正午であったが、ミラノ乗り換えの飛行機が2時間も遅れたので、ホテルに着いたのは午前1時であった。ミラノまでは日本人が多く見られたが、パレルモ行きの飛行機を待つところには日本人は私達夫婦しかおらず、東洋人とみうけられるのはベンチで荷物を積めた袋を抱えて眠りこけている一人だけで、周囲の人々も皆怪しく映る。イアタリア人のいい加減さは

パレルモ

パレルモ(シチリア島)
世界的に有名である。荷物をスルーにしたのもきちんと到着時に手元につくまでは心配の種であり、置き引きやスリのことも考えるととても寝てなどいられない。何度窓口に聞きに行っても「乗る飛行機がパレルモから帰っていないので、着いてからじゃないとわからない。
マダム、もう少し待て!」の1点張りである。
 いつものごとくエコノミーではあったがミラノまでのアルタリア航空は快適であった。乗務員もきびきびとよく働く。連休の少し前なので、席は100くらい空いていた。食前食後と惜しみなくお酒を提供してくれるのもありがたい。ここで眠ればいいものをつい貧乏人根性で機内映画の『チャーリーズエンジャル』『ダルメシアン』『リメンバー・ザ・タイタンズ』を3本ともしっかり見てしまった。そして飛行機は定刻よりちょっと早めにミラノへ。ラッキーと思ったのは束の間、次の飛行機が来なければ話にはならない。
 外を見ると嵐である。体は泥のように疲れている。すでにイタリアは夜なのだから、日本時間で考えたらもう明け方。寿命が短くなろうといつも8時間は睡眠をとっている私には本当にこたえる。・・・それに寒い。
 やっと来た飛行機に乗り込んで、やっと一安心かと思えば、その小さな飛行機がこの嵐でやけに心細いのだ。あっという間に乗客を全員見渡せて人数まで数えられるその飛行機はきしんだような音を立てて離陸した。窓の外は明らかに嵐。強風、そして時に光る・・・。強い風と雨で機体が揺れるし軋む。せっかくここまで来たのに果たしてまゆみはシチリアの地に立てるのか・・・。不安と恐れが募るばかり。眠ったまま死んじゃうのもこれ又怖い。
「パレルモの町の灯りじゃないかな?」夫の声にふと外を見ると何となくもやっとした灯りが見えてきた。少し安心。
ところが・・・。1時間40分の飛行時間がもうすぐ終わるというその時、確かに私は見た。
 私の3席前の乗客の上を丸い火の玉のようなものが転がったのを!そして間髪入れず機内が昼間のような明るさに一瞬なったのだ。落雷だ。誰もがそう思っていたと思う。私は恐怖で顔が引きつっているのがわかった。
「誰かフラッシュ、たいたね。」・・・おまぬけなのか果ては癒し系と呼ばれるべきものなのか、これは咄嗟に出た私の言葉。でも心の中は「雷だ、雷だ、雷だぁあああああ!」と泣き叫んでいた。
「フラッシュはたかないでしょ。」夫も間抜けな返答をしたが、誰も雷だと言えない。
言いたくなかった。あの時だけは機内の全員が、言葉は通じずとも心は一体になっていたと思う。
 それからすぐに翼の上の席の乗客が乗務員を呼んだ。みんなが窓の外の翼を覗き込んでいる。煙が出ているようだ。落雷・・・煙・・・そうなったら普通あるでしょう?
機内放送とか。・・・無い。全く説明も笑顔も・・・何もない。
みんななんて言うだろう。墜落したシチリア行きのローカル線に日本人夫婦が乗っていた模様。・・・えええーーーーーっ?まゆみさんたち?やっぱり飛行機事故かぁ。
可愛そうに・・・でおしまいか? こんな終わり方はちょっと悲しい・・・。私の想像が最悪のどん底に到着しそうなちょうどその時、 「ドッッッドーン」と鈍い音と共に飛行機は無事着陸、滑走路をぶれながら機体が走り始めた。
「ふうううううううううううううう」やっとシチリアへ着いたよううううう。涙が少し出ちゃった。
 18日間のイタリアの旅はまだ始まったばかり。荷物も無事ゲットし、タクシーを捕まえ、ぼられないように交渉し、狭い道を・・・しかも何となく一方通行と書いてあるんじゃないかなと思われる表示の道を逆送していく暴走タクシーに命を預け、やっと午前1時グランドパルメホテルへ到着。雨はもう上がっていた。
 日本で目覚めてから27時間後にようやくベッドへ。

素敵な人々へ
南イタリアの旅へ

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最終更新日: 2010/08/29