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2.トイレット事件 |
2002年 3月: |
イタリア初日の朝、午前2時に寝たというのに連続する緊張の為か6時に目が覚めてしまった。これがこの後3日間続く時差ボケとの戦いになるのだった。
ホテルに到着してから又嵐がぶり返し、一晩中雨と雷が鳴り響いた。シチリア、春だというのに寒いじゃないか・・・寒すぎる。早速持ってきた中から暖かそうなものを取り出して着替える。 |
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朝はカプチーノ |
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ホテルはシックな雰囲気の古い建物でレストランも私好みのゴージャスな感じ(夫はケバイと言っていたが)。やっぱりイタリアの朝はカプチーノを飲まなけりゃ。食事はなかなか美味しかった。
朝食を取った後、フロントへ向かう夫の後に付いていく。ツアーデスクがホテル内にあるというので情報を仕入れるらしい。フロントマンが指さした2階へ彼が上がろうとするので、
「ねぇ、どこ行くの?」
「ツアーデスクだよ」
「そっちはトイレだよ」私は朝食前に、2階を探検してきたので、そこにはトイレとカンファレンスルームしかないということを知っていた。
「大丈夫、ホテルマンが2階だと教えてくれたんだから。」
夫は私の言うことも聞かずでんでんでんと2階へ上がっていった。
「やめなよ。トイレって書いてあるもの」しかもそれはしっかりと英語で書かれていた。
「大丈夫。ここって言われたんだから。」トイレと書かれたドアを開ける夫。
「・・・あれっ?トイレだ!」
ここからが大変。私はあまりのバカさ加減に笑いが止まらず、夫はひどく立腹!
「きっと僕の英語がうますぎてイタリア野郎に通じなかったのだ。だって僕はこう言ったんだよ」夫は何度もツアーデスクはどこですか?という英語を繰り返す。
フロントのイタリア人にはツアーデスクが、きっとトイレットに聞こえたのでしょうが・・・。笑いをこらえながら、
「私みたいにローマ字的な発音がイタリア向きなんだよ。」と慰めてみたが、彼の心は修復不可能。シチリアから出るまで、彼は英語を話さなかった。おかげでシチリアにいる間、私が切符を買ったり道を聞く羽目になり偉い災難を被ることとなった。
10数年前にローマの小さなホテルの玄関先で、ベルボーイと片言の英語とイタリア語で、世間話をしていたら、そこにリュックを背負ったアメリカ人が道を聞いてきた。
すると、私と話していたベルボーイが彼に
「あなたの英語は分かりません。誰か他の人に聞いてください。」
普通アメリカ人に言わないでしょう?恐るべしイタリア人!
私の外国語は完全な失語的会話である。ときには絵までその場で書くという芸まで披露する。このときしみじみと私は自分の英語の実力を知ったのであった。(--;)
しかし個人旅行のシチリアは本当に英語が通じない。ホテルもフロントで英語が話せるのは一人だけ。駅も、フェリーも、バスも・・・お店も。
日曜日はほとんどの店が閉まっており、平日もローマやミラノとは異なり本当に昔ながらのシエスタをきっちりとまだ取っているので、水を買うのも時間によっては大変苦労を強いられる。日曜日の今日は今後の交通手段についての手続きをとる日にしようと決めていたので、早速ホテルから歩いてフェリー乗り場へ。そこら中に大型のうんちが落ちているので注意しながら歩かなくてはならない。
パレルモのこの埠頭からナポリへフェリーが出ている。夕方4時くらいにナポリから到着したフェリーが、夜8時に乗客を乗せてナポリへ出発する。そして翌朝ナポリに着くという。水戸のホテルに時々やってくるシチリアのシェフ、フランチェスコが飛行機より値段も安く快適で、しかも1泊分のホテル代が浮くと勧めくれたのである。
というわけでフェリーの切符を買いに来たわけだ。ところが、売り場は夕方4時からだという。お掃除のおじさんが、私の時計を指さしながら
「クワットゥ、クワットゥ!」と教えてくれた。
仕方がないので、駅に行き、ユーレイルパスの指定を取ろうということになった。
駅までてくてくてくてくと歩く。しかし、うんちが多い、そして路上駐車の数も尋常ではない。車のほとんどは小型車である。
私はこんな島ではなくナポリ駅で予約した方がいいと言ったのだが、
「治安が悪い国だから我々のような慣れない外国人は人の少ない町の方がいいのでは」という彼の真剣さに負けてしまった。しかも、さすが彼は私と違って考えが深いと感心しながら。
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最終更新日: 2010/08/29