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11.コンニチハ |
2002年 4月: |
パレルモ旧市街の南側の入り口に、サン・ジョバンニ・デッリ・エレミティ教会がある。ノルマン王宮のすぐそばである。アラブ・ノルマン様式だというので一応見ておかないと地中海の十字路シチリアを語れない・・・と勝手に考えて行ってみた。
ガイドブックには5つの赤い丸屋根が異国情緒を醸し出していると書いてあるが、内部は質素でつまらないし、5つの丸屋根もそんなに面白いとは思わなかった。回廊のある中庭に椰子やオレンジの木などが植えられている。教会の回廊の中庭にレモンやオレン |
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アグリジェント(シチリア島) |
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ジが実って下がっているのは、お寺の庭で柿がなっているようなものなのだろうが、ちょっとお洒落な気がする。
それは午後の散策の時だった。修理中の噴水のあるプレトーリア広場の前で、夫がトイレに行くというので、1人待たされる東洋の女まゆみ。目や耳、肌を最大限に緊張させて隙を作らないようにしなければ!
「コンニチハ!」と背後から声をかけられた。緊張!
「こんにちは・・・」と答えながらおそるおそる振り返った。外国で、しかも日本人の少ない地域で日本語で声をかけられて良いことは滅多にない。
「一緒にミラノから同じ飛行機だったでしょう。雷で危なかった飛行機。」
白いTシャツの男性が流暢な日本語で話しかけてきた。
「・・・ああ、はいはい。そうです。そうです。あなたもシチリアへ来たのでしたか?」そうだ、確か、ミラノの空港で、疲労感を体中からにじませて膝にのせたに大きな荷物を抱えるようにして眠りこけていたあの人だ。
「アナタは日本人でしたか。」・・・これは心の中でつぶやいた。何だ、日本人だったら初めからそうわかるようにしてくださいよ。へんに緊張しちゃうじゃないですか。・・・これも心の中のつぶやき。
「あの、荷物預けなかったんですか?飛行機降りたらすぐにいなくなってしまいましたよね。」
「私達、荷物日本からシチリアまでスルーでお願いしちゃったんですよ。アリタリアだったらできるって事聞いてたんで。だから、受け取る場所が違ったので、あのターンテーブルは素通りでした。」
「ああ、そうだったんですか。」彼はため息混じりに話し始めた。
彼は日本から私達と同じ飛行機でここまで来た。シチリアを起点に、自転車に乗ってスイスまで行くという。つまりイタリアを縦断するわけだ。ところがミラノで預けたその自転車が届かなかったという。結局英語もうまく通じず、もう夜中だから明日連絡すると言うことで、ホテルで電話を待って日曜日の昨日またタクシーを飛ばして空港まで後の便で届いたその自転車を取りに行ったらしい。
「イタリアって危ないって聞いてたけれど、しょっぱなからね・・・。参りました」「タクシー代、腹立ちますね。」余りフォローにならない私の返答。以前もどこかの国をやっぱり自転車で横断か縦断をしたという。そして明日はもうここを発つという。
「どうぞ、気を付けて!」これは本心から出た私の言葉。なんだか彼、ちょっと影が薄い。本当に無事縦断してくださいね。
夫がすっきりした顔で戻ってきて束の間の日本語会話編は終止符を打った。ああ、それにしてもやっぱり荷物は心配だ。以前、義母と一緒にタヒチに行ったときには、ハワイから乗ったのにも関わらず、義母のトランクだけがアメリカ本土に行ってしまったことがあった。あの時はタヒチで義母のおパンツをゲットするのに大変苦労をし、結局同行していた義母の友人のおパンツで事なきを得たことがあった。若い人は別にして、タヒチの人は余りおパンツを着用しないらしい。確かにフィジーやタヒチは大概パレオという布1枚で全てが用足りるもの。でもこれに関してはまた機会を作って少しきちんとした事実関係を追求したい。
明日はいよいよシチリアへ来た大きな目的の一つ、アグリジェントへ。ギリシャ神殿群の残る町である。バスで2時間ちょっと。今からバスの時間と乗り場の場所を調べて、明日に備えよう。
計画はもうばっちり。国鉄駅のすぐそばのバス乗り場も押さえたし、安心してホテルへ帰る。今日も本当に良く歩いた。昨日のごとく顔を洗ってコンタクトをとって、歯を磨いて、準備万端。私は午前1時半から活動していたんだよ。「おい、今日は夕飯どこで食べる?今日は食べるんでしょう?」確かそんな言葉を聞いたような。まゆみまたしても電池切れ!食欲より睡魔の勝るまゆみ。夫は本日も夕飯抜きとなるのであった。
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最終更新日: 2010/08/29