失語症記念館
素敵な人々

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闘病生活からパソコンへ

須藤 眞空白
市川市在住空白

2001年 8月:

(1)失語症、言語障害、嚥下障害
私の脳腫瘍発症が何時かは不明だが、1996年2月頃だったが、私の普段の会話がおかしい事に気がついたのは会社の直属の部下だった。
彼に言われて自分自身も「何かがおかしいナ?」と思い、J病院へ行き診察を受け、1週間後の脳CTで即時私の入院が決まり、そして2日後には拳大まで大きくなっていた腫瘍を切除する手術が行われた。
手術後右手右足の麻痺が有ったが、早くから手足を動かしたのが幸いし、約1ヶ月後には車椅子も使う必要が無くなった状態で退院出来た。


退院後、後遺症の失語症リハビリとして江戸川病院を紹介され、週3回の受診を6ヶ月の間通院し、STの佐野先生、小嶋先生に大変御世話になった。
失語症については、私は勿論、最初は妻も“どのような病気か”が理解出来ていなかった。
私は一人で通院のためバスを利用したのだが、乗車すると運転手から「何処までですか?」と言われても返答に困り、言葉も言えない状態であった。
行先のメモを首からぶら下げていれば、相手も私も苦労する事は無かったのだが、妻も失語症に対するJ病院からの詳しい説明が無かったので、私が全く心配無く江戸川病院へ通院しているものと思っていたようだ。


「自分が何をやろうとしているか」が判らなかったり、病院の名前を忘れたり、乗換えの停留所を忘れたり、何度もバスを降りたり乗ったりして通院に苦労したのだが、それを妻に説明する事が出来なくて本当に困った。
失語症患者にとっては、相手に理解してもらう事が如何に難しいかが問題だ。
記憶が飛んだり言葉が出てこないからだ。


両先生の指導で6ヶ月の通院を一応卒業し、会社へ復帰し営業の一線を離れたが、とにかく自分でメモを作る事や、又先生のアドバイスでテープ・レコーダーで自分の会話を録音し、何度も聞き直している内に、日毎に精神的にも余裕が出てきた。
そんな1998年6月頃、今度は扁桃ガンが発覚し入院・手術、2ヶ月後に退院したが又再発してしまい、中咽頭ガンの診断で今度はガン専門の病院で入院・手術をし、1999年1月に退院した。


口の喉仏周辺や舌の半分・左下歯と骨・等を切除した為、後遺症として言語障害と嚥下障害が残ってしまい、そして両目の異常や左耳の異常も有り、もう言い様も無い苦しみの時を過ごした入院生活であったが、退院後、紹介を受けた昭和大学歯科病院へ通院し、主治医平野先生の言語訓練・嚥下訓練を受けて、少々の言葉が出来る様になり、水も飲める様になり、流動食を鼻から胃へ流していたチューブも外れて、口からお粥を食べる事も出来るようになった。

又、眼科の先生から「2重に見えても、あなたは生きているんだから良いじゃないか」と匙を投げられた2重に見えていた目の異常も“何故か?”自然に良くなり、左耳は手術で耳の鼓膜にチューブを入れて貰い、音も聞こえる様になった。
もうこれからは“とにかく「前向きに」生きよう!” という気持ちが沸いてきた。


(2)パソコンからホームページへ
退院後、妻との日常の会話は何とか出来ても、不自由な言葉しか出来ない私にとっては、「このままでは生き甲斐を無くしてしまうに違いない」と考え、若い頃から続けてきたJAZZ音楽の継続や、会社やJAZZ仲間・友人とのコミュニケーションを取る為には、パソコンでの電子メールを覚える事が早道ではないかと思った。
妻と相談の結果、近くのパソコン・ショップへ行きノート・パソコンを購入し、付録の参考書を少しずつ読みながら練習を始めた。
購入した店の若い人に、聞きたい事項のメモを作り度々パソコン持参で行ったり、近所の人のアドバイスを受けたりしている内に、段々メール交換が出来る様になり、インターネットを開いて色々な情報を見る事も出来るようになっていった。


インターネットの効用を思う度に、段々自分のホームページを作ろうという気持ちに駆られ、ホームページ・ビルダー・ソフトを利用し、友人の助けも借りながら2000年4月に「しんちゃん の World」と名付けたホームページを立ち上げた。
私の「闘病生活やJAZZについて」今までの事を書き記したが、現在まで4700人の訪問者に見て頂き、同じ様な病歴を持った方や近親者が病気になってしまった人、そして今現在もガンと戦っている方のメールを頂き、お互いに助け合いながら情報交換をしている。
又、JAZZについても色々な方からのメールを頂き、情報交換をしながら楽しく交流をしている。
2ヶ月前にアメリカに住んでいるお医者さん(日本人)からメールを頂き、メール交換が始まったが、この方がたまたま夏休で帰国し、行き成り私が演奏しているライブハウスでお会いする事が出来て驚いている。
インターネットは凄い!


ポートレート

左端のピアノが須藤さん

(3)闘病生活のその後
2000年10月から会社復帰をする予定であったが、8月後半に左肺にガンが見つかり、又々すぐ入院・手術をし2000年11月末に退院、リハビリで半年遅れたがようやく2001年4月に会社復帰が出来た。
長い間の休職だった。
勿論、言語障害や嚥下障害を持ったままの復帰なので、部署も替わり仕事の内容も限られているが、上司と相談しながら少しずつ仕事を始めている。
「人生は何とかなるもんだな〜!」…感慨と共に皆様に心から感謝している。
又失語症のメールの会に参加してからもう2年になるが、本当にパソコンを活用し「素敵な人々」の方や皆さんとの交流をしながら楽しい生活を送っていきたい。


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最終更新日: 2009/09/10