失語症記念館
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まず 命が助かりますように、と思いました。
呼びかけに反応が少しずつ少しずつ有るようになったのですが、どなたがだれだかちょっと分からない状態でした。
言葉は「あいうえお」の子供の絵本をみせて言わせたり、書いたり、教えたらいいと思い、必死になりましたがどうもダメでした。
この時私は「母は脳のダメージで痴呆になったのだ」と思いました。
家族には、失語の理解が全くない状態でした。
W: そうですね、ことばが話せない、文字も理解できない、という失語症の症状にはじめて直面すると、ご家族も周りの方も「ぼけた」と誤解されることがあります。
でも失語症の方はことばは使えませんが、周りの状況を判断して、適切な行動をとることができるので、痴呆とはちがいます。
そこを理解していただけないと患者さんはとても傷つきます。
鼻岡さんの場合、発病されてからどのくらいでお母様の状況判断能力がしっかりされているのに気付かれましたか?

H: 発病後40日たった頃、友達が病院の階段を上がって行く後姿に気付いて手招きしました。
声は全く出ませんが 手招きを必死になってしました。
それまでは見舞って下さってもボーッとしていたのに友人の方も、私も感激しました。
同じ病室のお隣さんの食事が終った後「食器を下げるのを手伝ってあげなさい」というように、私に目で合図したり、お客さんにお茶やお菓子をすすめたりしました。
運転暦が四十年もあり 好きだったからか方向感覚は抜群で、最近は私の知らない場所への道案内を助手席から指1本で確実にしてくれます。
忘れ物をしそうな時も指で教えてくれます。
気配りが抜群です。
W: そういったご様子をうかがうと、思う事がなかなか言えなかったりということはあっても人格や性格はご病気の前と全く変わっておられないようですね。

H: 人格や性格は、以前と全く変わりません。
状況判断はとても良いですし、記憶もとても良いです。
今は言語訓練に行っていて宿題が毎日あります。 
私たちが忘れていると 夕方になって宿題のプリントを指差したり、車椅子を動かして机に向かったりします。
自分のやるべき事は決して忘れません。

その1
その1

失語症と共に
失語症と共に

その3
その3


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最終更新日: 2000/074/18