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Yさんがぐっすり寝ていたら、突然首を絞められてびっくりして相手を払いのけると、奥さんだった。無我夢中で、起き出して、隣の家の玄関まで行き、どんどんやって起きてきた隣人に助けを求めたという。隣人がYさんの家に入った時には、奥さんは鴨居で首を吊ってすでに息絶えていたという。警察に通報したが、息子達が動いて新聞沙汰にはならなかったこと。今日、内輪で葬儀が行われている。Yさんの奥さんは、以前からどこかの心療内科にかかっていたらしい。Yさんとスタッフの話を合わせるとこういった内容であった。
Yさんの失語は重かったので、確認を取るためにはどうしても筆談や絵などが必要となる。私との面談の後、一人で泣きながらノートに書かれた単語を消しゴムで消していたと、翌週家政婦から聞いた時は胸を締め付けられた。音声は消えて無くなってしまうけれど書いたものは残るのだ。それが時にはとても残酷なものになる。
翌週、Yさんは奥さんの形見だと言って俳句のスクラップを見せてくれた。美しい臈長けた文字が流れるように踊っていた。Yさんはページをめくりながら声を出して泣いた。しかし、その日以降、Yさんは泣くこともなく朗らかになった。お見舞いでもらった女優の写真集を持ってきて見せてくれたり、私が行った旅行のアルバムを見ながら、遠い国に思いをはせたりした。この頃、楽しい時間を過ごしてもらうことを言語治療の目的においていた。
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その年の暮れは、30日から1月3日まで、自宅へ、二人の息子と外泊された。
翌年の6月、市内の老人病院へ転院するまで、2回ほど外泊されたが、彼の周囲にはいつも息子の姿しか見えなかった。Yさんは病気になってから何度か家には帰ったが、とうとう家庭には戻れなかった。
あの日、右の手も足も不自由であるのに装具もつけず、どうやって隣の家まで行ったのだろう。真っ暗な中、何回も転んだのだろうか。どんな思いで歩いたのだろうか?言葉にならない言葉で、どうやって伝えたのだろうか?ずっと一緒に人生を歩んできた人に手をかけられるというのは、どういうことなのだろう。
穏やかな人だったという。仕事をまじめに勤め上げ、家を築き、二人の息子を立派に育て上げ、趣味は本を読むことだった。それなのに・・・。
家庭は、中に入ってみなければわからない。まして夫婦や親子の関係は千差万別である。これが普通なんて無いのかもしれない。
ずっと・・・あんなに帰りたくていた我が家。夕暮れ時に窓から遠くを眺めると・・・あのYさんの姿を思い出す。 |
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