失語症記念館 失語症と風景
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失語症の風景:14

うりょりょりょりょなのに・・・

言語聴覚士 吉田 真由美
フリーランス

2021年03月

  失語症とは脳卒中などによる大脳の損傷で聞く・話す・読む・書くという側面に障害を呈します。脳の損傷の部位や大きさ、外傷か脳出血か脳梗塞かでも症状や予後は異なりますし、年齢、家庭背景、経済状態、知的レベル、人間関係、性格、そして合併する高次脳機能障害などにも大きく影響を受けます。
 失語症は、言葉が出にくい運動性失語と変な言葉がいっぱい出てくる多弁な感覚性失語タイプに分けることが多いのですが、こういった分類はあまり大きな意味を持ちません。大事なのは、周りのことがどのくらいわかるのか、そして自分の伝えたいことをどうすればどのくらい伝えられるのかということを、当事者と周囲が共通認識できていることです。
 一番重症の失語症を全失語と言います。目は覚めているけれど、耳から入ってくる言葉は、外国語を聞いているようで理解できず、周りを見回しても日本語の文字が全く意味と繋がらない。話そうとしても言葉がほとんど出てこないか、残語とか常同言語と呼ばれる、その人独自の限られた言葉だけが出てくることが多いです。残語は意味のある単語の時もあれば、全く意味不明の言葉だったりもします。発症間近の全失語の場合、自分の名前さえ書けないことが多いです。つまり、聞く・話す・読む・書くが全廃に近い状態です。

 さて、では思考はどうなっているのか。急性期の全失語の患者さんで覚醒がはっきりしていて病識がある程度保たれている人達を見ていると、びっくりするようなことが多々あります。
 夕方、薄暗くなった窓の外を指さして、妻や娘さんに早く行けと手で合図を送っているところを見たことがあります。家が遠いので、遅くなるからと患者さんが心配していたのです。

 全失語で右麻痺のSさんは、病前、車のセールスマンで、会社でも同僚や女子に人気があった方です。イケメンで人気というよりはセクハラまがいのことをしても許してもらえるような明るいキャラクターです。彼の口から出るのは「うりょりょりょりょ」「うりょ」「うりょりょー」位のものですが、これに抑揚がついて、表情と相まって今どんな気持ちなのかだいたい通じます。
 ある時、失語症の全国大会があり、私も友の会の参加希望者を募り、横浜へ1泊で出かけました。Sさんは何と一人で参加。仕方ないので、新人男子STのI君を同部屋にして、面倒を見てもらうことにしました。

 朝6時半に、私の部屋のドアが激しくノックされました。「先生、大変です。Sさんが、下の売店に行くってきかなくて、一緒に行ったら、大量にお菓子を買っているんです。」「お金もってんでしょ?」「たぶん」「じゃぁ、いいんじゃない。」「いいんですか?いっぱい買ってるんですよ!」売店に出向くと、「朝6時から開店」と大きな看板が出ていた。Sさんは昨日これをチェックしていたのだ。右手は麻痺、左手は杖のSさんは私に笑顔で会釈すると、大きな紙袋を二つ、杖先で指してI君にうなずきながら、運んでくれと合図した。
 後日、奥さんからの報告。「先生、びっくりですよ。沢山お土産買ってきてどうするのかと思ったら、いつも散歩の途中で立ち寄る近所の家に配って、残ったのは?と聞いたら、会社のカレンダー指すんで、車で連れてったら、会う人会う人に、ドミちゃん(彼の愛称)、ドミちゃんって声かけられて人気者だったみたい。うちの分を残して、お土産ぴったりの数でした。」

 I君は知らなかったのだ。付き合いの多い田舎の人は、旅に出たときには途方もなくお土産を買うことを。そして普通のおじさんが、全失語になっただけで、全失語の人がおじさんになったわけではないことを。

 何年たっても検査では散々なのだが・・・計算ができない全失語であっても、麻雀をすれば点棒が数えられる人、簡単な短文つなぎが出来なくても(たとえば花が・から  ・咲くと・食べる  を正しく選べなくても、好きな女優の名前は新聞のテレビ欄から見つけられるとか。日常で驚くべき力を発揮すること多いです。ちなみにこのSさん、カラオケで巨人の星だけは歌える。「クリスマス会で歌歌ってもいいよ。」と言った数時間後、医局秘書が私の元へ。「Sさんから葵の会のクリスマスで一緒に歌ってくれと言われたんですが、何歌えばいいんですか?」

 恐るべしSさん!20年近くたった今も「うりょりょりょりょ」しか言わないのに、デュエットする女の子をゲットするこのコミュニケーション能力!たぶん、彼は外国に行っても言葉に困らない人なのです。


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最終更新日:2021/03/01