失語症記念館
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脳梗塞で倒れ、市内の救急病院に搬送されたYさんは、そこで7ヶ月近い闘病生活を送ったあと、リハビリのためにこの病院に転院されてきたのだ。中大脳動脈領域の大きな脳梗塞は、彼に右半身麻痺と重度の失語症を残した。転院されたばかりの頃は、こちらの言うことが全く理解できず、文字を見てもその意味が取れず、口から出てくる言葉は「はい」だけで、コミュニケーションはすべて状況判断のみに頼るだけであった。言語の検査の指示も入らないほどの重症であったが、1ヶ月たった今、耳の理解と文字の理解も改善し、相手が協力的に接すれば結構どうにか意志の疎通が成立するようになってきた。
 失語症は重症であったが、転院されてきた時点で発症から半年以上経っていたので、病識がはっきりしており、時々泣かれてしまい困ることもあったが、非常に訓練には積極的で、まじめな方であった。
 彼が倒れてからの数ヶ月は奥さんが付きっきりで看病していたというが、途中で体調を崩し、家政婦に交代したらしい。私はまだ、Yさんの奥さんの顔を見ていなかった。看護婦からの情報では、週に2回ほど面会に来るらしいのだが、入浴も着替えもほとんど家政婦に任せっぱなしで手を出さないという。外泊時のことや退院後のことも考慮して介助の仕方を教えなくてはと、年配の看護婦がため息混じりに話していたのを思い出す。
 彼は、前にいた病院から、まっすぐ転院して来られたので、病気で倒れてから、1度も自宅に戻っていないのである。合併する多様な高次脳機能障害がなければ、重度の失語症であっても記憶や、情操面は保たれていることが多い。病識もしっかりしてくれば、家にやり残した仕事や、心配なことがあるに違いないのだ。
 来週なんて悠長なことは言ってられないぞ!入院中の患者さんの「待つ」という時間はきっと私達の想像を絶するくらいにゆっくりとしか流れていかないのだから。私にとってたかが1週間でも患者さんにとっては、ながーいながーい1週間なのだ。早速私は、婦長に電話をかけ、次週の私の時間に奥さんと面談できるように手はずを整えた。


 翌週、Yさんは、品の良さそうな奥さんと共に診療室へ入ってこられた。奥さんもYさん同様に物静かな雰囲気を漂わせていた。簡単な初対面の挨拶を済ませたあと、私は言語治療を開始した時と現在のYさんの言語症状について手短に説明した。
「でも、失語症が重度であっても状況判断や、心の中は、病気の前と同じように保たれていますし、これからも回復しますから、Yさんのペースで、焦らずにリハビリを続けてください。足の方は大分良くなってトイレや散歩も十分一人でできますし、この頃は、ご自分で着替えもできるようになりお手伝いはほとんどいらなくなりました。おうちに帰られてもそんなに心配ないと思いますよ。それに外泊をして、自分のお茶碗でご飯を食べたり、お庭を眺めたりするだけでもとっても頭には良いリハビリになるのですよ。」

その1
その1

失語症と風景
失語症と風景

その3
その3


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最終更新日: 2001/07/15