失語症記念館
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 涙を拭きながら私の言葉を聞いていたYさんが、外泊という言葉に顔を上げた。
「先生、又倒れたらどうするのですか?」
「病院にいたって倒れるときは倒れるのです。それに最初に治療を受けた病院で、脳の血管造影などの検査をきちんとしていますし、危ない血管は特にないようですから、再発する可能性はそんなに高いとは言えませんよ。リハビリがある程度進んだらおうちに帰ってみて、何が困ったか確認して、リハビリの先生に報告してもらえれば、問題を解決する方法を教えてくれますよ。」
「ちょっと自信がないので息子達と相談します。」
彼女の反応は、自信が無いの一点張りであった。
院長はじめ婦長や私に顔を見れば、外泊しろと言われるのが辛いらしく、Yさんの奥さんはなるべくスタッフに会わないように面会に来るようになった。
 しかし、この病院へ入院して2ヶ月経った頃、やっと外泊願いが家族から出された。それは、年末年始休暇で病院も休診となり、ほとんどの入院患者さんが家に帰る時期であった。はじめての外泊は7泊8日の長期となり、独立して県内に家庭を持っている二人の息子さん達が交代で泊まり込み、面倒を見てくれたらしい。Yさんが倒れてから9ヶ月近くがたっていた。息子さんは二人とも結婚していたが、その奥さんの一人は病弱で、もう一人は、実家との折り合いが悪いといい、Yさんの周囲には奥さんと二人の息子しか浮かんでこなかった。


 お正月明けに戻ってきたYさんの表情はとても明るかった。息子さん達が自宅に泊まって面倒を見てくれたこと、家がとても楽しかったことなどを言語の時間に私に伝えてくれた。彼の左手には昨年彼に付いていた家政婦から届いたという年賀葉書が大切そうに握られていた。私が、彼のノートに書いた「外泊・・・2回目希望?」の文字に、Yさんは即座に大きく頷いた。しかしながら外泊後に彼の奥さんの口から出た言葉は、
「自宅での介護は非常に大変で又外泊するなんて、とても今は考えられない」ということだった。
 院内スタッフや付き添いからの情報を合わせてみても、Yさんは、ほとんど人の手を煩わせることなく日常生活動作は確立されている。食後の薬も忘れずに飲めるし、着替えも装具の脱着だって全部自分でできている。付き添いなんていなくても十分やっていける。彼の付き添いの仕事は洗濯くらいのものである。どうして、手が掛かるのだろう。ご飯さえ作ってあげれば、特にあとは周りですることもないだろうに。Yさんは、前にいた病院で1回、そしてこのお正月休みの外泊の時に1回てんかん発作を起こし、今回はすぐに緊急受診して、又帰っていったという。発作でてんてこ舞いしてしまったのが大変だったのだろうか?一般の人だとびっくりするんだろうなあ・・・。やっぱりびっくりしたんだろうなあ・・・。でも外泊をあんなに楽しみにしているYさんの顔が頭に浮かんできて、気が重くなるばかりであった。
 この頃は病院にはたくさんの家政婦が派遣されていた。

その2
その2

失語症と風景
失語症と風景

その4
その4


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最終更新日: 2001/07/15