失語症記念館 失語症と風景
Copyright (c) 2004 by author,Allrights reserved

失語症の風景:15

知識と経験は温存される

言語聴覚士 吉田 真由美
フリーランス

2021年03月

  私は、1984年に失語症友の会を設立しました。まだ、リハビリという言葉が一般の人たちに知られていない時代でした。脳卒中の後、歩くリハビリはあっても言語治療という言葉も失語症という言葉も世間には全く知られていない時代でもありました。一般的に失語症になって話せなくなったり、言われていることがわからなかったりすると「バカになっちゃった。」などと評価されることも少なくありませんでした。脳梗塞などで麻痺の無い感覚性失語症が、認知症と誤診され、精神科に入院させられたあとに、しばらくしてから脳梗塞だと判明した患者さんを何人も経験しました。感覚性失語は、聞く力が落ち、口からは間違った言葉や変な言葉が出てくるタイプの失語で、又本人も自分の言葉がおかしくなっていることに気がつかず、周囲とのコミュニケーションの不成立で、周囲から見ると異常な行動を取っているように見えるので、頭がおかしくなったと思われてしまうことが少なくなかったのです。

 そんな時代だったので、失語症の仲間を作って、社会参加の第一歩にしたいと思ったのです。私が勉強させていただいた韮山温泉病院の友の会を参考にさせていただきました。まだ全国に友の会が10団体に満たない頃でした。この頃は言語聴覚士が全く居ない県も存在していました。
 その頃の言語治療の医療保険はとても安く人件費など全く出ないレベルでしたが、リハビリ期間の制限はなかったので、3年近く温泉病院に入院して会社に復帰される方も少なくありませんでした。ただしこういったリハビリを受けることができた失語症の人は大変限られていました。

 2000年頃から急性期・回復期・生活期という効率的効果的を歌ったリハビリテーションに切り替わり施設や人材が充足してきているように見えていますが、その裏で、長期のリハビリを受けることが難しくなってきており、中重度の失語症の社会復帰に大きな足かせになってきています。又、シームレスな連携と言われていますが、その垣根は結構高く、また、若いセラピストが失語症だけではなく麻痺や高次脳機能障害の長期経過を終えなくなっているため、予後予測が難しくなってもいます。
 若いセラピストにとって、友の会活動へのボランティア参加は、コミュニティに戻られた失語症の方々が、生活場面や職場復帰したあとにどういう生活をしているのか身近に知る事ができるので大変有益です。豊かな想像力というのは、沢山の知識と経験の上に初めてなりたつものですから、まだ20数年しか生きていない彼らにとって、直に話を聞いたり見たりする事はとてもよい勉強になります。

 Mさんは、元経営者で今は息子さんに仕事を継いでもらい奥様と悠々自適の生活です。彼も又全失語で、理解には簡単な言葉とキーワードの文字言語の提示が必要です。右片麻痺があり右手は全く使えませんが、ADLはほぼ自立しています。言葉は、切羽詰まったとき「もうこれでいいです」と、拒否的な言葉が突発的に出るくらいです。でも落ち着いていれば、単語レベルのリピートは可能です。彼は毎日、朝起きると掃除機をかけ、左手で習字をします。これが午前中の彼の日課です。習字に書く単語ははじめの頃、奥様の提示したものを書いていましたが、現在は自分でテレビや新聞から選んで好きな単語を書いています。彼は囲碁の達人でしたが、発症したばかりの頃は囲碁を打つと言うこともピンとこないようでした。発症から数年たったころから、囲碁仲間の友人が時々自宅に来てくれて囲碁を打つようになりました。最初の頃はぼろ負けでしたが、現在は3勝2敗程度の結果を出せるようになっています。「病気の前のうち筋に戻っている」と友人が奥様に話したそうです。Mさんは囲碁が打ちたくなると、居間のカレンダーのところへ行き、奥様のスケジュールのない日を指して「これは?これは?」と聞くそうです。「私は大丈夫。○○さんの予定聞いてみますね。」と奥様は囲碁の友人に連絡を取るそうです。
 昨年は台風で自宅の外壁のタイルが壊れたそうで、それを見たMさんは、奥様に付いてくるようにとジェスチャーで伝え、地下の倉庫に保管されていた予備のタイルの場所を教えてくれたそうです。

 重度の失語症であっても、長い時間をかけて生活期の中で生活の質もコミュニケーションの質も上がってきます。橋本圭司先生は、生活期を展開期って呼ぼうよと提唱されています。この言葉を聞いたときから講義や講演会で私も必ずこの言葉を使って説明するよう心がけています。展開期・・・まだまだ世界が拡がっていける気がする良い言葉ですよね。


失語症と風景
失語症の風景


Copyright © 2021 後藤卓也.All rights reserved.
最終更新日:2021/03/01