失語症記念館 失語症と風景
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失語症の風景:18

テロップに反応

言語聴覚士 吉田 真由美
フリーランス

2021年03月

  失語症者の多くは平仮名や片仮名に比べて漢字単語の方が理解しやすいです。一般的には教育課程で仮名から学習していくので、仮名文字の方が簡単だと思っている人が多いのですが、大人になると、目から飛び込んでくる文章の7割以上が漢字です。新聞を見たら漢字が圧倒的に多いのが良く分かります。
 又、漢字は表意文字とも呼ばれ、文字自体に意味づけして学習されていることが多いため、ピンときやすいのではという解釈もあります。

 もう20年以上前の話です。私はその日、病院の福利厚生の一環で、東京の歌舞伎座で歌舞伎を見ていました。お昼に食堂に行き、予約したお弁当を食べていると、食堂のテレビから緊急速報の時になる音がしてテレビに目をやると、水戸の病院で医師が患者に刺されたというニュースがテロップで流れました。うちの病院からさほど離れていない病院の名前が出ていました。何せテロップだけの情報なので詳細はわからずじまい。
 あとでわかったことは、医師が自分の患者さんの回診に4人床の病室へ入ったところを、精神疾患の他科の患者さんに刺されてしまったそうで、即死に近い状態でした。その医師は刺した患者さんと面識もなかったそうです。その医師の息子さんが私の甥の同級生だと言うこともあとで知りました。何とも痛ましい事件でした。

 それから1週間後に全失語のHさんが家族に車いすを押してもらって外来にやってきました。彼の失語も大変重く、絵や漢字単語やジェスチャーでどうにかイエスノーをとるというようなコミュニケーションでした。いつもはニコニコしているHさんでしたが、その日は暗い表情でした。

「何かありましたか?Hさん暗いお顔ですね。」と問いかけると、娘さんがこう話し出しました。
「先生、○○病院のお医者さんが刺されて亡くなったのご存知ですか?○先生、おじいさんの主治医だったんです。先週お昼頃、おじいさんが一人で居間にいたのですが、突然『ウォオオ~!』って凄い大きな声で叫んだので、みんなびっくりしておじいさんのところへ行ったら、大きな声あげて泣いてたんです。何があったのか全くわからなくて、どうしたの?どうしたの?って聞いたら、テレビを指さしてたんです。そしたら間もなく又テロップが流れて、あれまぁ、大変な事になったって・・・。でもうちのおじいさん、やっと単語がわかるかどうかなのに、ちょっとの間しか流れない文章のテロップを見てすぐにわかったみたいなんですよ。1ヶ月に1回受診してて、とても優しい先生だったんで、おじいさんも好きだったんだと思います。あの日以来、おじいさん食欲も出なくて心配しているんです。」

 言語検査のデータがすべてではないのです。机上の課題の結果がすべてでもないのです。自分の価値のあるもの、興味のあるもの、関わりの深いもの、そういった文字や音声言語はピンときやすいのです。鳥居の絵と文字が結べなくても、孫の名前はすぐわかるとか、趣味の単語はすぐに選べるとか・・・。
 そして心も感性も、失語になったからと言ってそう変わらないものです。言葉がわからなくなった分、相手のイントネーションや表情や仕草に敏感になったりします。これはコミュニケーション能力が低下し始めた認知症の方々にも言える事です。

 私たちの日常はテレビや映画と同等かそれ以上に事件性に富んでいるようです。


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最終更新日:2021/03/05