2001年11月: 1/5頁 |
『痴呆症』・・・そのノートには確信に満ちた字で確かにそう書いてあった。
「M君、Yさんは、なんで痴呆症なの?」
「はい、あのう・・・全然しゃべれないのにあーあーって言いながら、ニコニコしてみんなと握手したり、お辞儀していたので」
「それが何で痴呆症になるわけ?」
「・・・病識がないのかなと・・・」
「彼女は何であーあーしか言葉が出ないのかもう1度考えてみて。病巣はどこだっけ?それと痴呆症の定義についてレポート!」臨床実習生は、そそくさと私の前から姿を消した。 |
Yさんが私の元へ紹介されてきたのは、肺の腫瘍の手術直後に脳梗塞を発症されてから1年がたった頃であった。腫瘍の摘出は成功したが、彼女は広範な脳梗塞という代償をもらってしまった。脳梗塞の治療が終わった後、彼女は熱心な家族の意向で、県外のリハビリ専門病院で半年近く言語訓練を受けてこられた。言語中枢を広範囲に損傷した脳梗塞であったが幸いにも手足の麻痺は免れた。構音失行が著明な重度の運動性失語症で意思伝達には相手の寛大な協力が絶対必要条件であったが、表情は明るく積極的であった。 |
事件が起こったのは、当院で週1回の言語訓練が始まって3ヶ月が経過しようとしていた時であった。夕方外来が終わって言語室のドアを開けるとベンチにYさんのご主人が座っている。
「あれ、Yさん今日言語の日じゃありませんよね。」時々予約のダブルブッキングをして冷や汗をかく私はちょっとあせった。
「先生、大変なことになっちゃったんだよ。」
ご主人はうなだれながらぽつりぽつりと話し始めた。
数日前の台風の晩にふと隣の布団に目をやると空っぽだった。トイレかと思ったがなかなか帰ってこない。家の中も捜してみたがいない。外は大雨である。玄関を見ると外に出ていった形跡があるので、あわてて息子夫婦を起こし、外へ探しに行ったという。 |