失語症記念館 失語症と風景
Copyright (c) 2004 by author,Allrights reserved

失語症の風景:20

あれから10年

言語聴覚士 吉田 真由美
フリーランス

2021年03月

 3月11日午後2時46分、私は仕事先で一人黙祷した。朝刊の一面に、その時間に黙祷をして、亡くなった方の冥福を祈ろうというコメントが掲載されていた。黙祷しながらいろいろな想いが頭を駆け巡った。もう10年?まだ10年?私にはわからない。2度と起きて欲しくない、思い出したくもない。あの時間から町はモノクロになった。

 そうか、もう10年なんだ。Iさんは、あの日車でとなりの市のプールで泳いでいた。定年退職してから週に数回通って泳いでいた。右片麻痺で右手は廃用だったが「クロールもできるんだ。」と言っていた。
 大きなプールは、地震の揺れで海の渦潮のような波となり、泳ぎが上手だったけど、片手のIさんはプールサイドに行く事ができず、どんどん真ん中の方へ吸い寄せられてしまったという。すぐに指導員達が飛び込んで、二人がかりでどうにかプールサイドまでIさんを救助したその時、天井が落ちてIさんの頭に直撃したそうだ。

 停電と断水。信号も消えた。電話は繋がらない。道は大渋滞。Iさんは市内の総合病院に運ばれたが、その連絡が奥さんに入ったのは夜の11時過ぎだったそうだ。どうにか、臨終には間に合ったものの、包帯でグルグル巻きにされた頭からは片目しか見えなかったという。「お父さん、家に帰ろう。」と言ったら「うん」てうなずいたんですよ。それから間もなくIさんは息を引き取った。

 お盆の時に、お邪魔して奥さんから伺った話だ。停電も断水もしばらく続いたものだから、火葬もできず、葬儀屋さんも県内はほとんど動いておらず、ドライアイスを東京からどうにか算段して大変だったと話された。本当はもっともっと沢山話してくれたのだけれど、私の心の痛みで、内容が頭に入らずに消えてしまっている。
 愛して止まないプールに吸い込まれそうになって、どんなに怖かったことだろう。せっかくプールから上がれるところだったのに・・・。

 再発もあったけどいつも頑張ってリハビリをして、とうとう定年退職まで頑張れた。旅行に行くといつもお土産を届けてくれたIさん。言葉はうまく出ないけど、演歌を歌わせたら天下一品だった。奥さんから、同僚から、上司からも愛されていたIさん。ビールが大好きだったよね。Iさんにも私は沢山のことを教えてもらった。

 茨城は、東北に比べて被害は確かに少なかったけれど、津波も来たし、被害だって沢山あった。そして茨城には東北出身者も多い。うちの病院の副師長は宮城生まれだ。彼のおじいさんはまだ見つかっていない。
 「実家、大丈夫なの?」と聞いたとき、「親は大丈夫なんですが、じいちゃんやばあちゃんが連絡付かないらしいんです。」と目を潤ませながら、ドクターヘリで出動していった。関係者の傷は思ったより深いのだと今自分を省みてそう思う。

 東北のドキュメンタリーや震災のドラマや映画を見ることの出来ない自分がいる。でも今回これを書けたことで、私の中でも何かが変化してきているのかもしれない。

 大震災のあとも国内のみならず、世界中で災害が多発している。そしてコロナ。目の前のことをこつこつと・・・私の最近、自分に言い聞かせている言葉です。
 大震災で亡くなった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

失語症と風景
失語症の風景


Copyright © 2002 後藤卓也.All rights reserved.
最終更新日:2021/03/13