失語症記念館 失語症と風景
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失語症の風景:6

文集『葵』雑記パート2より

言語聴覚士 吉田 真由美
国立水戸病院

2002年08月

 私は、水戸に戻って言語聴覚士として働き始めて2年目に葵の会という失語症患者の友の会を立ち上げました。その会の文集に私が雑記として書いている物がいくつかありますので、これを掲載したいと思います。これはまだ私がSTとしてヒヨコだった頃の青い果実のような作文です。
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 初夏の風が吹き始めた頃、奥さんに支えられるようにしてSさんは、言語治療室のドアを開けました。70歳を過ぎた白髪のやさしい笑顔の持ち主でした。心臓を患っていることもあり、あまり無理はできませんでしたが、孫のような年齢の私に会うのを楽しみに一生懸命治療を受けに来てくれました。
 ある日、新聞紙に包んだものを片手に抱えて言語室に現れ、それを私に差し出しました。開けろというようなジェスチャーをするので早速開けてみると、Sさんが元気な時に描いたという油絵が、自分で切ったり彫ったりして作ったという洒落た額に入って姿を見せました。私がひとしきり感嘆していると彼の奥さんが、
「いやぁ、大変だったんですよ。うちの人は、この通り言葉がうまくできないし・・・この間なんですが、朝から新聞指したり、自分の描いた絵なんか指したり、いろんなジェスチャーをするんですよ。私が、こうじゃないかとあれこれ考えて言うと、全部違う違うですよ。結局はこの絵を先生にプレゼントしたいから、新聞紙に包んで持っていくって事だったですがねぇ。それを私がわかるまでに午前中いっぱいかかってしまいましてね、丸半日ですよ、丸半日!本当、おかしいですねぇ。」と苦笑しながらおっしゃったのです。
彼はその横で私の顔を見ながら、ちょっとはにかんだような笑顔を送ってくれていました。
 絵の好きな私は、このプレゼントがとても嬉しかったのですが、奥さんのこの言葉を聞いて涙が出るくらい感激しました。私へのプレゼントのために丸半日もバラバラになった言葉やジェスチャーと格闘してくださったのです。諦めないで何度も何度も。

 Sさんが倒れたのはそれから間もなくのことでした。入院先の病院に私が顔を出した時、Sさんは私の顔を見るとちょっと驚いたような顔をし、すぐにくるりと寝返りを打って壁の方へ向いてしまいました。
「お忙しいのに申し訳ない」と私が病室のドアを開けたときから手にしていたバスタオルに顔を埋めたまま泣いている奥さんに二言三言声をかけてSさんのベッドサイドに寄りました。Sさんの肩に右手を置いたとき、彼が泣いているのに気がつきました。正確な言葉を作り出せない声を押し殺しながら、肩を小さく震わせて。彼の床頭台には言語訓練のノートが置いてありました。
 無理をしてもご飯を食べて早く又言語室へ来て話せるように頑張りましょうと私が言うと、静かに頷いたSさんの背中を今も時々思い出します。

 それから1週間も経たないうちにSさんは天国へ旅立っていきました。最後は穏やかな顔をしていたそうです。電話でその連絡を受けたのは診療中で、涙がぽたぽた机の上に落ちて困りました。震える手で受話器を置き涙を拭いて患者さんの所に戻ったのですがノートを見たりするのに下を向くと涙がこぼれるので、その時間はずっと上を向いたまま治療しました。
 その夜、友達の母親が出しているスナックに寄ってお酒を飲みました。お酒は元から弱くないし、好きなのですが、その時ほどお酒をまずいと思ったことはありませんでした。
 私が、STとして一本立ちした最初の年のことで、自分の患者さんが亡くなったのも初めてのことでした。

 月日が経つのは早いもので、私が国立水戸病院で言語治療を始めて3年が過ぎました。治療室は玄関から遠いのは難点ですが、病院の中で1番新しくてきれいで暖かい部屋です。しかし、最初そこに置かれていたものは事務机と椅子が二つずつ・・・それだけでした。鉛筆や消しゴムといった消耗品の請求から始まり、治療に使用する絵カードや宿題などもほとんど一人で作りました。治療室の患者さんの椅子にはすでに百人以上の方が座りました。
 “無”から何かを始めること、そして始めたことを続けていくこと、これがいかに困難でかつ重要なことか。葵の会設立後1年半が過ぎようとし、そして文集「葵」も2号ですね。編集に当たり皆さんの作文に先に目を通させていただきました。病前と変わらないような文章もあれば、短い電報文のようなものもあります。誤った字もあれば変な形容詞も飛び交っていますね。でもそこまで来るまでにたくさんの時間と涙と悔しさ、そして信じがたいほどの努力が費やされています。皆さんがどんなに辛い思いをしたか、そしてどのくらい涙を流したか周りの人たち一人一人に説明してあげたい気持ちです。でも一つ忘れて欲しくないことがあります。皆さんの家族や友人が皆さんと共に苦しんだり努力してくれたことです。
 それに報いるためにも来年は、今回の文章より少しでよいのですから、向上できるように頑張ってください。
 期待しています。                   1986年
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 ずいぶん昔の自分の文章というのは、驚きと、気恥ずかしさを伴いますね。
(??;)

失語症と風景
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最終更新日: 2002/08/28