失語症記念館
友からの便り2005年8月

あいさつ皆さんからのお便りをご紹介します。あいさつ
8月15日:森川さんから便り
 今日は終戦の日なので、60年前の今日を思い出しましょう。
 楽しい思い出ではありませんが、孫達に決して同じ経験をさせたくないの思いがあり、毎年どこかで孫達に戦争の事を話して来ました。
 8月15日  疎開先での終戦。
  国民学校5年生、暑い日でした。
近所の方々が、ラジオのある家に集まり、私は地面に正座させられ、玉音放送を聞きました。 5年生ですから、正確な意味を理解する事は出来ませんでした。 大人の方々が、泣いていたのは記憶にあります。
  前日の14日。
  同級生のおばあちゃんが、P51の機銃掃射で亡くなりました。 背中から撃たれ、貫通された胸は大きな穴が開いていました。 今、考えれば14日は、すでにポツダム宣言で終戦は分っていたはず。
末端のパイロットまでは知らされていなかったのか?
動くものは、すべて標的にされ、ゲーム感覚で追い回されていた様に感じます。 パイロットの顔がはっきり見える低空での機銃掃射。
そのパイロットも、生きていれば80歳以上になっているはず。
何を思い、今日を迎えているのでしょうか。

 幸いなことに、私は肉親、友人を戦争によって失っていません。 メールの会には、肉親、友人を亡くされた方がいらっしゃると思います。 大戦で亡くなった方々の、ご冥福を祈る8月15日です。

 教育は恐ろしいです。
「兵隊さんになって、天皇陛下のために死にます」 毎朝復唱させられ、そう信じていました。

 11日から中3の孫が、2泊3日で来てくれました。
孫は3人。長女の子=高3(女)と中3(女)、長男の子=2歳(女)。 今年も戦争の事を、少し話しました。
若い世代は、8/6、8/9、8/15と言っても、何それ????
広島でさえ、8/6? 何だっけ....。
私は不自由ながら、何とか喋れるので「戦争はいや」を言い続けようと思っています。
8月5日:和田さんからの便り
 家のルナが7月中旬〜下旬にかけて体調が悪くなり、 7月31日に動物病院で診察いただきました。その日は入院(検査)。
 結果は【腎臓結石】で2日に退院したのですがもうもう――。 エサ、水、薬、等を食べたり、飲んだりが出来なくなりました。 それに、歩く事も出来ません。シッコはオシメを当ていました。が…(ノ_σ)グスン
  昨日の10時15分過ぎにとうとうとうとう帰らない猫になりました。(12歳、人の年齢で64歳でした)

思い出の写真

 病気になって逝ったので諦めも出来ますが――もう少し生きてもらいたいと思いました。 31日にはまだルナは歩いていました。入院して退院したら・・・歩く事が出来なくなりました。
  今日昼から「東山動物霊園」と言う人から持ってきて火葬していただきました。(大泣)

  元の猫(チビ)も腎臓で命を落としました。同じ「東山動物霊園」で眠っています。

新潟県中越地震のときにも一緒に過ごしたルナちゃんでしたね!ご苦労様でした。 後藤

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最終更新日: 2009/12/05