失語症記念館
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障害者の人格の尊重
 次に,障害によって,社会的にハンディキャップを持っても,一人の人間としての価値は,健常者と同じだという前提です。
 障害のために,健常者にできて,その人にできないことがあっても,その人の人格は、決して損なわれないということです。
社会の側の努力
 第三は,これまで,社会参加への努力は,ほとんど、障害を持つ方とそのご家族や,援助する専門家の問題であったのが,社会全体が努力すべき問題だという考えに変わってきたことです。
言語やコミュニケーションのハンディキャップ
  「バリヤフリー」ということばの背景には,こうした社会の変化があります。 
では,失語症などの言語の障害に関してはどうでしょうか。
 上で述べた,三つの視点でみてみましょう。
コミュニケーション障害の受容
 「コミュニケーションの障害を持ちながら(今のコミュニケーション能力の範囲で),よりよく生きようという」という気持ちになるのは,なかなか,難しいところがあるようです。
 いいかえると、それだけ言語障害の受容が,難しいということでしょうか。
 充分に訓練を受けて、言語訓練を担当する言語聴覚士から見て、言語機能の改善は、限界かなと思う場合でも、ご本人もご家族も,もう少し言語が良くなればというふうに機能回復訓練に執着してしまう傾向があるようです。
 もっとも言語聴覚士の不足や,制度の不備から,機能回復の可能性があるのに,充分な訓練を受けていない方が多いのも現実ですが。
コミュニケーション障害の方の人格の尊重
 また、言語障害などでコミュニケーションにハンディキャップがあると,なかなか健常者と同様に、一人の人格として尊重されにくいということがあります。
 実際,はっきりと子供扱いされて傷ついていらっしゃる方も多いのです。
 言語やコミュニケーションの問題は,それだけ人間としての自立や人格に深く関わっているということを示しています。
コミュニケーション障害の方の社会参加
 第三に社会の側からの努力という点です。
 身体の障害を持つ方やお子さんに比べて,言語障害や知的障害の場合、就労(職場復帰を含めて)や普通教育への参加が非常に困難です。
 障害の種類によってそういう差があっていいものでしょうか。
 しかし,現実は,社会の側が言語障害の方を,どんどん受けいれようという態勢には,全くといっていいほどなっていません。


その1
その1

失語症と共に
失語症と共に

その3
その3


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最終更新日: 2000/04/28