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コミュニケーションの問題
このように,言語やコミュニケーションに障害のある方の社会参加を拒むバリヤは、身体に障害のある方の場合と比べて,高く、大きく、そしてたくさん存在しているのです.
では,どうしてコミュニケーション障害では,こうしたことが起きるのでしょう?
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障害が理解されにくい
例えば,身体の障害は,「移動が大変だろうな」とか,「トイレや入浴が困るだろうな」とか,「そうなると,日常生活がいろいろ制限されるだろうな」というふうに,健常者にも,障害による苦痛や不自由さ・不便さが,割合と具体的に想像がつきやすいということがあります.
ところが,言語の障害では,「人とコミュニケーションがとりにくい」ということは分りますが,それがもたらす具体的な苦痛や不自由さが想像しにくいのです.
すなわち、言語障害の方にとってのバリヤがどんなものか、一般の方に、なかなか具体的には、わかりにくいということです。
実際、言語が不自由でも、身体に障害がなければ、あまり社会生活には困らないんじゃないかと思っている方も多いようです。
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代行手段や対策が限られる
身体の問題のほうが,言語の問題よりも理解されやすいことは、身体の障害がもたらす問題に対して、具体的な対策が比較的たてやすいことからも推測できます.
例えば,車椅子,杖,てすりの設置などで、移動の問題のかなりの部分が解決されます.
言語障害でも,聴覚障害や発音に限定した障害では,補聴器や発音代行装置のような有効な手段があります.
しかし,ことばの理解力や表現力に問題のある失語症や知的発達の遅れのお子さんなどに有効な代行機器は非常に限られます.
つまり、具体的にバリヤを解消する手段が少なく、また難しいということです。
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障害について自身が説明する手段を失っている
また、身体の障害のほうが,比較的理解されやすく,また有効な対策がたてやすい理由のひとつに,ことばでご自分の問題点,不自由さや苦痛について説明ができることです.
ところが,言語障害の方は,特に重度であればあるほど,ご自分の障害について説明したり,表現したりできないということがあります.
最も近い存在のご家族や、言語障害の専門家であるはずの言語聴覚士でも,失語症の方の心のうちは,想像するしかありません.
そして,本当のお気持ちを完全に理解することは、とても難しいのです.
ここにも、言語障害に対するバリヤが険しい理由があります。
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