失語症記念館
Copyright (c) 2000 by author,Allrights reserved

5/8頁

 桜の花が咲く頃にその事件は起こった。なんとYさんが、付き添いに手をあげたという。杖を振り上げただけだったらしいが、それ以来、その付き添いに対して拒否的な態度が強くなったらしい。たぶん、彼のプライドを傷つけるようなことをしたか言ったのだろう。奥さんとの面談で、彼は、自宅でもこれまで暴力など振るったこともなく一本気なまじめな人だったという情報も得た。「病院と言うところは、なかなか患者さんのプライバシーを守るのが難しいので、ストレスもたまっているのでしょう。お正月以来家に帰っていないので、我慢の限界を超えているのかもしれませんよ。外泊そろそろ考えてあげてくださいね。」今回はすんなり、外泊が決まり1泊2日で週末帰ることになり、それ以来又落ち着いた入院生活に戻った。そして5月の連休も外泊が続けてできた。

 7月になるとリハビリの方からも日常生活はほぼ自立と言うことで、退院の話が出た。言語に関しては、相変わらずの重度の失語症のままで、意思伝達には相手の協力と時間が要され、口から出る言葉は「はい」「ほう」位のものであった。しかし重度の失語症の場合は、そんなに急激には言語症状の改善は見られないのがふつうで、3年から5年くらい経つと変化が見られることが多い。だから長期戦でかまえるのが一番良いのだ。言葉の改善を待っていたのでは、いつまで経っても退院できないし、病院での単調な生活よりも自宅での生活の方がYさんにも良いに決まっている。まして本人も帰りたいと望んでいる。
 しかし・・・又しかしである。受け入れ態勢ができていないので待ってくれと言う回答が家族から出された。STが常勤でいないリハビリ病院で、重度の失語症の彼は、PT訓練と散歩以外何をして1日を過ごすのか?週1回の私とのたった30分のコミュニケーション以外、誰と会話を持つのだろう。しょっちゅう入れ替わる、失語症に理解のない家政婦と何を話すのだろう。Yさんは、歩行訓練以外を、ほとんど言語の書き写し訓練に費やしていた。
「Yさんはもう仕事に戻ったり大学を受験するわけではないのだからつまらない文章なんか写さないでもっと面白いことをした方がよい」というような内容を筆談や絵やジェスチャーを交えて伝えると、目を丸くしてとても驚いた顔をした。失語症者の80%は皆びっくりするくらい勤勉なのである。でもやればできるようになるわけではなく、やはり時期的なものも関係する。ある程度の芽が出てくる時期まで待っていても良いのだ。重度の失語症の場合は、改善を見るまでの準備期間が長いのであるから、余り張り切りすぎるとせっかく回復が見られる頃に「いくらやってもできるようにならない」という絶望感に陥り、息切れしてしまいかねない。
 でもたくさんいる患者さんの家族の中にはいくら失語症について説明してもわかってくれない方もおり、治療が終わって部屋から出るときに
「先生、いっくら教えてもお父さん、こんにちはも言えないんだもんねぇ。やんなっちゃうよう。」等と毎回のたまう。
「いいんだよ。しゃべれなくたって死んじゃうわけじゃないし。ねぇ。△△さん?」

その4
その4

失語症と風景
失語症と風景

その6
その6


Copyright © 2001 後藤卓也.All rights reserved.
最終更新日: 2001/07/15