失語症記念館
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 体はどこも悪くないので、働き者を何もさせないでいるのは反対に良くないと話して、まずは野良仕事をするように家族と本人に話した。それから仲間がいることを知ってもらうために患者さんの会のアルバムを見せて、翌月のカラオケパーティに誘いをかけた。『同じ病気の人』とノートで説明した後にアルバムを見せると食い入るようにいつまでも一人一人の顔を見ていた。他にも目が向けられるというのはまだまだ救いがある。おいおい患者さんの会のメンバーに助けてもらおう。
 話が孫の話になると、顔がほころんできた。
 「お孫さんの成長楽しみだね」
 プリクラの写真と可愛いの文字に大きく頷くYさん。
 「でもYさんは死んだ方が良いと思っているんでしょ?死んじゃったら会えないよ!それでもいいんでしょ?」ちょっと困った顔になった。しめた。
 ノートに茄子やキュウリの絵を描いて、
 「Yさんちの野菜が、一番美味しいんだよね。今までで一番美味しかったもの。でもYさん死んじゃうから、もうもらえないんだね、寂しいねぇYさん」
 又ちょっと困った顔をした。しめしめ。
 「梨はYさんち以外のは食べられないよ。あんな美味しい梨は初めて食べたよ。」
 Yさん、突然椅子から立ち上がり畑を耕すジェスチャーを始めた。
 「畑?」
 頷いたYさん、今度は、収穫をしているのか籠を小脇に抱えて、なにかをもぎる動作。
 「収穫、何かもぎってるぅ?」
 またまた頷くYさん。
 Yさんはジェスチャーがなかなかうまい。どうやら、来年の春に何か収穫して私に届けてくれることになったらしい。
 言語室に入って2時間後、とうとうYさんは死ぬことを一時やめて来年まで私の食べる野菜作りに専念することを誓ってくれたのであった。
 それからしばらく、農作業に元気に専念するYさんであった。1ヶ月後には、葵の会という患者さんの会にデビューとなり仲間作りにも成功した。
 発症から5年経った今、月1回脳外科受診時言語室に立ち寄っていく。言葉は今も全く出ないが家族との会話には単語カードを使い、余り困っていないと言う。この間、深酒をして、何回か夫を困惑させたり、1度だけではあったが睡眠薬をたくさん飲んで、私のところへヘロヘロで来たことがあった。そのたび時間をかけて話をして元気になって帰っていった。ここ2年間はほとんど問題行動はない。よく夫婦で旅行に参加してはお土産を持ってきてくれる。夫婦でやっていた広大な梨畑は、夫が高齢に達したという理由で、今年全部伐採してしまった。がっかりするのかと思っていたが、反対に気が楽になったらしく表情もとても明るい。

その3
その3

失語症と風景
失語症と風景

その5
その5


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最終更新日: 2001/11/11